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彦根からの帰り
5日、彦根からの帰り道に思ったことなどです
彦根市内京町、昔で言う東新町にある喫茶帆船。1970年代当時滋賀大学生の方々がよく通っておられました。それこそ「君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ」ってな感じのお店でした。この歌詞、誰のなんという歌か分かる人は昭和30年代生まれの人ですな
旧町名「水流町」。昔白線の部分は川でした。
刃物関係のお店ですがいつも特徴ある店だなあ~と思っています。
旧町名「一番町」私の祖父はこの町で饅頭屋を営んでいました。また、東近江市議会議員さんのお母さんのお生まれになられたのもこの町でこの偶然に議員さん、「鳥肌たつほどびっくりした」と言っておられました。
テイクアウト寿司店の「山月」さん。このほど店を閉められます。5日の日に実家で食べたすしも最後だからという意味でこのお店で買いました。私は今から47年前、この店の前身「寿し一」時代にアルバイトしていました。私の3つ上に後の山月社長になられたI氏がおられて当時は「きゃんす」など長浜弁で話しておられました。でも考えてみれば氏は20歳、その若さでエリアマネージャーしておられたのですから凄いです。またひとつ上にI井さんと言うハンサムな方がおられ、彦根南高の「ジュリアーノ・ジェンマ」などと女の子からあこがれられていました。氏が店に立つと女の子がわんさか寿し買いに来ていたのを思い出しました。
当時のアルバイトの事が懐かしく餃子省のまこちゃんの店に行ってそのこと話して懐かしがっていました。まこちゃんは京町店でした。他「でぶりん」、「まこ(GT380乗っていた方)」「かっちゃん(昨年他界)」などバイト繋がりで楽しかった話などしていました。
帰りまこちゃんから沢ガニもらいました。子供と言ってももう私の子は大人なので帰って近所の人にあげました。そういや小学校の頃よく沢ガニ取りに行ったなあ~とはるか55年ほど前のことを思い出しました。そんな追憶だらけのこどもの日でした