美湖母湖

びこぼこぶろぐ

自治会の選挙

今日は私の住む町の自治会長(ところによっては町内会長という町もありますね)を決める選挙がありました

いつもは東近江市役所能登川支所近くの「やわらぎホール」にて行なわれるのですが、今回は初の「コミュニティセンター」にての開催になりました

入館してまず行なったのは手のアルコール消毒と検温、そして会場に入って資料等を受け取りました

初と言うこともあり、何だか違う自治会にお邪魔したような雰囲気でした。

立会人のもと開封の様子。こうして自治会のリーダーやお宮さんの役などが決りました。彦根のとある町で町内会長が決ったら憤慨して帰宅し、数ヶ月間「おこもりさん」し、引き継ぎたい会長さんが頼みに行かれ、中々出て下さらないので裏からそろ~っと「〇〇さん・・・」と声かけたらなんとその方、はちまき巻いて鬼のつのみたいに包丁はさんで念仏唱えておられ、その異様さに町内会長、仕方なくもう一年されたそうです。候補に挙がりそうだからとお引っ越ししたされる方がおられるくらいこうした役は大変なんです。

いろんな言葉

店、このお店が出来たとき税務課とでも言いましょうか「物が実際通りに建っているか」を見に来られた担当の方、図面で言うところのトイレの面積が記載されていないと見に来られたんです。いわゆる地面の上に建てられた建物の場合固定資産にもかかわるからとのことなんです

見に来られた担当の方、トイレはこれですねと近づいてよく見てため息・・・

宙に浮いてるので建坪面積に入らないが・・どうしたものかと悩んでおられました。面積ったってしれてるしと言うことでただの「出窓」扱いになりました。そんなことでの打ち合わせしつつオープンして4ケ月ほどになりますが、いろんな方に来て頂きうれしいです

お客さんがされる会話の中には懐かしい言葉なども聞いたりします。先日も「あんまり飲み過ぎたらぎょ~が出る」と言われたので幼い頃母に車に乗るとき食べ過ぎたらぎょ~が出ると言われたのを思い出し妙に懐かしかったりしました。長浜東部の方が来られ会話の中で「ごんしゃった」と聞いて私の親戚、身内(祖父は八条出身でいとこは鳥羽上)が使っていたなあ~と懐かしくなったり、驚いたのは近所のK氏が帰るとき「さあ~げこしょうか」と言われたの聞いてこれもびっくりしたりしました。方言とでも言いましょうか楽しくこうしたワードに反応している寬珍です

元々の名・・・・小字

よく住宅開発地で現地案内の時新しい名にて紹介されることが多いですね

うちの近所でも現地案内・説明会のような物が催されています。で、開発地の名ですが、それこそ桜が丘とかプラムタウンなど名称が付けられたりしますね。知り合いで開発されて困っていた方がいて、その方何を思ったのかこうした説明会催される近くに自分の敷地内に看板立てたんです。書いてあることが面白く「六尺沼(実際はちょい違う言い方)」と書いて、説明に「平成6年までここは六尺沼と言われる沼地で六尺(180㎝)の大男までもが沈むとんでもない沼地で、明治の地震の時この近くにあったお堂が沈んでしまった・・・」と書いたんです。見に来られた方・・・「地震になると液状化・・・」中々買い手が付かなかったと聞きます

好天

まるで「春近し」と勘違いするほどの好天です

楡(にれ)町。この字、最初読めなかったです。高校の頃、この付近から通っている同級生でニックネーム「おじぃ」がいたのですが熱心なクリスチャンで登校時、聖書を電車に忘れてなんと西明石まで取りに行ったと言うくらいの熱心さでした。「そんなん買えば?」と聞いたんですが彼、魂が宿るようなこと言うのでみんな目を丸くしたことを思い出しました

この近くに仕事で10年ほど前までお世話になった方がおられ、当時仕出し食材を分けてもらったりしていました。市場系のお店で市場の業界用語など教えてもらったりもしました。そのひとつが「もりをする」と言う言い方で、得意先を守って行くってな意味合いでしたが、考えてみりゃ卸す業者が少なかった「古き良き時代」の言い方だったんでしょうね

能登川にあるこうしたお店、若い方々やご家族に人気です。お酒の出る量も多く、多分ですが本部から格安でまわってくる(運ばれてくる)んだろうなあ~と思っています。某ビールメーカーさんに通常50~70席ほどの店舗さんだと一日1Kリットル(1000リッター)は出るし、都心部だと1日3キロ~4キロリットル、すなわち月間100キロ出ると聞き驚きましたが、その1日1キロ出す店でも500人/日の来客があっても一人2リッターも飲めるもんなのかなあと彼の言うことにちょい疑問を感じたりしたことがありました。よく「話を盛る」人っていますが素人でも分るような盛り方したら単なる「ほら吹き」になると思うよと彼に注意したことがありました。その話しもあって今の店のビールの銘柄はその「ほら吹き」の担当のメーカー以外からにしました

その続き

私にとっての懐かしい母校の続きで彦根の旧市街ををぐるっとまわった様子です

中央公園の隣にあるのは「金亀会館」です。昭和40年代だったかなあ~中国との国交が回復していたかも定かでないときここで「中国物産展」が開かれ竹で出来た小物入れや木彫りで斜め45度上を見上げた少女の置物などが売られていたのを思い出しました。

 

S田氏のお店と家。お店を立ち上げられたときイタリア、サンマルツァーノ産のホールトマトの缶詰を納めさせて頂いたことがあります。今もCB750Fを大切に乗っておられるかなあ~

昔の名で言う「東新町」・・・学校帰りにはいろんなお店があり見ているだけでも楽しかったです

お得意先へ納品

ここらは旧「水流(みずながれ)町」。今の白線部分が川でした。又、この近くにたこ焼き屋さんがあり、たしか3つで10円だったと覚えています。4年生の頃買いに行ったら6年生がその後大勢来て私の順番など無視して「おっちゃん!焼いて」と頼むのです。逆らえなかったのでひたすら彼らが立ち去るのを待ってたこ焼き頼んだらたくさんただで下さって泣けるほど嬉しかった事がありました。大将曰く「おまはん(あなた)が先や!と言うのも良かったがその場で6年生に睨まれながら食べるのも辛いやろうからおっちゃん何も言うたげなかった」とのこと。そういった親切さも含め今もかけて下さった思いやりは忘れないです

この鉄塔というか建物は昔の電電公社。NTTの時もしばらくは人がおられました。この建物の2階に食堂があり実家から近いこともあり食材を良く納品させて頂いていました。こうした通信機器大手に勤めている、もしくは勤めておられた方を7~8人ばかり存じてますが口をそろえて「電電公社・・・良い時代やったわ」と言われます

この交差点付近から城東学区でなく城西学区に入ります。城西小学校・・・そういや友人「やん」もその学校出身なんだよなあ~

夢京橋の通りをちょいと横に曲がると本町。

 

このお店もずいぶん前からやっておられます。よく友人「おくやん」とハンバーグやエビフライ食べたりしました。

この近くに友人「も~ちゃん」の実家がありました。彼の実家は散髪屋さんで、高校の頃髪をぴしっと決めてやれと彼のお父さんに頼んでパンチパーマにしてもらいました。ついでに私の気にしていたゲジゲジ眉毛を全部剃ったらえらい怖い顔に仕上がってしまいました。めがねも少し色がつていたのでみんなから「志賀勝」と言われたときもありました。その後普通の髪に戻しましたが変化と言えば友人「はっちん」、高校1年の時はリーゼントで3年生あたりではサーファーと言うこともありマシュマロカット風・・・いまのタレントさんで言うと「日村勇紀さん」のような感じになっていました。友人やんはさらさらのきれいな髪でした。最近会うと同じ髪でも「寂し~なって来てなあ~」の話ばかり。3人で例のひよこは生まれたときからの・・やってみようかなあ~ちなみに近所のかたもされていますが効果はあまり・・との事でした

滋賀大学経済学部。映画「偉大なるしゅららぼん」の学校でのロケにも使われたお堀などです。

このまままっすぐ行きベイシアで買い物。そのベイシアの場所にはかつて大きな繊維工場がありました。その繊維工場の給食物資を納品させてもらったりしていました。当時いわゆる炊事などされるスタッフさん、交代でされていたのか17歳前後の女性が頑張っておられたと思います。自分が17歳の頃など先ほどの話のような髪型気にしたり遊んでばかりいたのにと思うと当時23~24歳くらいの私。もっと真剣に仕事に取り組まねばと決意しました。でもその数年後、サラリーマンとして真剣に取り組むことせず自営業として取り組むことになろうとは当時の私・・・夢にも思いませんでした

城東小学校

東近江の能登川地区で商売営んでおります私、生まれは彦根市でして婿してこちら能登川におります。偶然って凄いもので今年に入って2人同郷の、それも同じ小学校の方がおでん食しに来店下さりたまたま出身の話で同じ城東小学校と聞いてびっくりしたりしています。定休日の今日、納品先が彦根なので思いでたどりつつ車走らせました

この近くに友人「つ~ちゃん」「じゃんさん」などがいていつも遊んだりしていました。じゃんさんも通信大手にいますが今年あたり定年なんだなあ~

この近くに住む「あきちゃん」も中々かっこよいバイク乗ってると友人「きし(これ・・・ニックネーム)」の弟さんから聞きました。その「きし」の弟さんが先日来店してくれたんです・・

久左の辻付近。

銀座商店街東側入り口の様子。ここらには家具屋さんがあったりしました。

幼い頃のこの付近の盛況ぶりを知る人も少なくなりました

途中元帽子屋さんのあった角を曲がり銀座裏に抜ける道を行くとかつては道産子のラーメン屋さんがあったりしました。この「らんぶる」さんも長くの運営ですなあ~んで突き当たりを

右に曲がればかつて映画館がありました。又、その向こうに私のおでんの師匠がやっておられたお店があります。今は別の方の経営ですが当時この界隈はすんごく盛況でした

左側にはパチンコ屋さんの裏口、友人「かっちゃん」の家が経営していたスナックとかがありました

そのかっちゃんの店から川沿いに下がると同じくスナックなどがありカラオケ屋さんなどもありました

その先にもカラオケ屋さんなどもあり、以前在籍していた会社の仲間とカラオケで盛り上がったりしていました。驚く事なかれ、翌日その在籍していた会社から服務規程違反と注意され、始末書書いたことがありました。もちろん会社終わってからでしたが、社内規定に「流行音楽などに興じてはならない」と書いてあり、その頃退職した元総経課(総務と経理の合わせたような課)H氏が自分が歌が下手なので腹いせに服務規程に追加していたらしく、始末書に「チューブのさよならイエスタデ歌ってごめんなさい」と書いてみたら社長「わしもこれはおかしいと思う。第一Hの音痴は桁外れであいつの若い頃笑ったからこんなことになってしまったんだ」とのことで、始末書、受理されることなく又なんのおとがめもなかったのを思い出しました

中央公園

この公園に昭和40年代後半にスケートが楽しめるようコンクリが一部で敷かれていました。当時は空前のローラースケートブームでみんな「やいのやいの」と滑っていました。やれ「東京ボンバーズ」だのとか言いながらでしたが当時のスケート靴は車輪の部分が鉄製で遊んだ後触ったらやけどしたりしました。

母校「城東小学校」の裏側。この裏側の今体育館あたりに当時は木造の「講堂」があり、今年に入って来店下さったお二人とも当時にあった講堂の床下に潜ったとかの話しに花が咲いたりしていました

プールも私たちが入学した頃に出来たのですからかれこれ50年近くあるんだよなあ~

当時の名称は「警察道場」。ここでやっていた武道「銃剣道」で共に汗を流したのがなんと来て下さった「きし」君達兄弟というのにはほんと驚きました。彼の兄さんとは仲良かってよくふざけて「ら~いっ!」とか返事して二人して師範の先生に怒られたりしました。ところが先生「なんやその浮いたか瓢箪のような振る舞いは・・・!」と怒られたのですが瓢箪が浮いているのを想像して余計に笑えてきて結局「木銃」で面越しですがたたかれたことがありました。こんな話し・・・彼と50年ぶりに出来てほんと嬉しかったです。やっぱ母校ってええもんです

いろんな業者さんが

おでん屋を営むことで酒屋さんなど新たに取引をさせて頂く事が出来、こうしたつながりなどに「ご縁」を頂いている(縁を感じる)寬珍です。業務用の食材を持ってきてくれるとある会社の・・・とにかく運転が下手で困っています

最初小屋の角にぶつけ、今度から気をつけてねと伝えた数ヶ月後

今度はこの塀に当てて上の部分がずれてしまい、その時も「ええ加減にせい(いい加減にしろよ)」と怒りはしたが彼の会社には言わずに済ませてあげたんです。その代わり次やらかしたら口頭ではすまないぞと言った半年後

ここにあった川にはまらないようにしていた大きな植木鉢とブロックを当てて川にはめて知らん顔して帰ったので(義母の見ている前で当てたので誰か分った)その会社の社長に伝え出入り禁止にしてもらいました。実は彼、会社でも問題(車で)ばかり起こし2台ほど廃車にしているとのこと。内勤してもらったりの方がよいのではと助言させてもらいました。

漠然とした写真で申し訳ないですがこの近くのお店にも納品している業者さんがいて、その店のマスターからその業者さんが物が良くって安いから一度取引してやってくれないか?と言われ、了承したんですがマスターから但し書きのように「若いのもあってか口の利き方だけ悪いよ」と言われていたんです。取引して最初の頃はちょいため口が気になるがフレンドリーだと自分に言い聞かせてたんです。でもだんだん言い方が横柄になり、まとめて買っても「俺も小森さんのとこにわざわざ来た甲斐があった」とか「本当は大手さんに出す価格、小森さんみたいな人にもこの価格で紹介してるのでさぞ小森さんも感激なされたことでしょう」・・・怒るの通り越して面白くなり、物と価格は一流なので木之本にある作法に厳しい弁当屋さん紹介しておきました。担当替えの後の数年後彼に会ったら見違えるほどの立派さでした。その後彼はその会社やめましたが今も年賀状が来ます。昨年など転職先の新人研修担当したと年賀に書いてあり腹抱えて笑いました

買い出ししつつ・・・

昨日は偶然友人の弟さんが来店下さったりで驚きの一日でした

夕方から買い出しに行きました。この信号の近くに昔「交番」があったそうです。さすがそのこと知る人は75歳以上の方と思われます

この近くにケーキ屋さんがあり、自宅敷地一部にて頑張っておられます。その方ともかれこれ5年ほど会っていないので又機会見つけて会いたいものです

この近くに友人「ひでちゃん」・・・(店の近くの「ひでさん」ではない方)がいて、昨日どら焼き買いに来てくれたんですが、先日の雪の日にどける作業中倒れかけたそうで、血圧がむちゃくちゃだったと聞きどれくらいか聞いたら230・・思わず「にひゃくさんじゅう~っ!?」と聞き直したくらいでした。私も昨年倒れる手前での血圧190程だっただけによくぞ無事でと妙に感心していました

いろんな方々に来て頂きうれしい限りでして、そこからいろんなつながりが出来て「縁」を感じます。来店下さった方の名前などは申せませんがイメージで言いますと石橋蓮司さん風の方、5代目桂文枝師匠風の方などよくご来店下さり有難い限りです。さて、今日も頑張りますのでご来店お待ちしています


昨日は散髪など

昨年12月初旬に散髪してから中々行けず、やっとこさ昨日行くことが出来ました。

道中見かけたたこ焼き屋さん。このたこ焼き屋さんの大将とも懇意にさせていただいております。昨年はイベントが全くなくそういった会場でお会いすることが出来なかったので今年こそは何らかのイベントでお話ししたりしたいものです

散髪屋さん近くの眼鏡屋さん。今は移転されて駅の西側に新たに店舗を構えていらっしゃいます。めがねで思い出すのは友人「へぶちゃん」が当時流行っていた「黒縁のめがね」を買って当時人気のあった「うじきつよし」を意識していまし。意識して「俺って誰に似てると思う」なんて聞いたりしていたが、うじきさんと違い丸い顔の彼、みんなから「宇野宗佑さん意識してるね」と言われ、次の日から元々かけていためがねに戻したってなことを思い出しました。本人の気持ちとは別にめがねかけた姿、ほんと宇野先生に似ていたンだがなあ~

んでいつもお世話になっている散髪屋さん

この銀行も又名前が変わると思います。以前私のお世話になった近江八幡のお客さんの中にはこの銀行と取引して60年以上(70年近く)になるという方がおられ、その方なんぞアーバン銀行の前のびわこ銀行の前の滋賀相互銀行の前のなんと「滋賀無尽銀行」時代のことを知っておられ、まだ近江八幡と合併する前の「金田村」に本店があった時のことまで知っておられる方でした。

このお店、今もばあさんがやっておられるのかなあ~昔はよくおうどんを食べに寄せてもらったりしていました。20年以上前、番組の探偵ナイトスクープで映った事もありました。

漠然とでしかお伝えできませんが、ずっと運営してこられた飲食店、2月半ばにやめられるそうで、ちょい寂しく思っています。まだ正式に(例えば張り紙するとかお客さんに伝えたりする)発していないので店の特長なども申せませんが地元の商店主の方々、昔からよく利用されていたと聞いています

独り言つぶやきながら農協さんへ仕事で向かったりしていました。この近くの散髪屋さんも中々奇抜に見えがちなスタイルですが、センスある方なので変には思えないのも素晴らしいところです。友人が散髪学校に行っているときの同期だったらしく、彼の家に泊まったとき思い切って金髪にした彼、昭和の時代でのその格好・・・家族を含めかなり言われたそうです。

美湖母湖フルコース?

日付けまたいでの投稿になります。昨日は朝から

どら焼きを作り

店のメニューの品を作り

その前の日から風乾(ぶら下げて風を当てて乾かしていた)していたチキンを燻し

夕方からのお店の段取りしてお客さんをお待ちしたりでした。来られるお客さんがいろんなお話をされ、私共も楽しくお店の運営させて頂いております。能登川の駅前のような賑やかな場所での営業ではないのでいわゆる「ぽつねん」とあるので皆さん気楽に来られると言っていただき嬉しい限りです。中には「こうした場末の飲み屋が好きや!」と気に入ってくれているのか物足りないと言って下さっているのか分らないこともありますが少ない来客でも楽しくやっております寬珍です・・・寬珍です・・・・これじゃ「ヒロシです」のあのセリフみたいですな