2021年1月

城東小学校

東近江の能登川地区で商売営んでおります私、生まれは彦根市でして婿してこちら能登川におります。偶然って凄いもので今年に入って2人同郷の、それも同じ小学校の方がおでん食しに来店下さりたまたま出身の話で同じ城東小学校と聞いてびっくりしたりしています。定休日の今日、納品先が彦根なので思いでたどりつつ車走らせました

この近くに友人「つ~ちゃん」「じゃんさん」などがいていつも遊んだりしていました。じゃんさんも通信大手にいますが今年あたり定年なんだなあ~

この近くに住む「あきちゃん」も中々かっこよいバイク乗ってると友人「きし(これ・・・ニックネーム)」の弟さんから聞きました。その「きし」の弟さんが先日来店してくれたんです・・

久左の辻付近。

銀座商店街東側入り口の様子。ここらには家具屋さんがあったりしました。

幼い頃のこの付近の盛況ぶりを知る人も少なくなりました

途中元帽子屋さんのあった角を曲がり銀座裏に抜ける道を行くとかつては道産子のラーメン屋さんがあったりしました。この「らんぶる」さんも長くの運営ですなあ~んで突き当たりを

右に曲がればかつて映画館がありました。又、その向こうに私のおでんの師匠がやっておられたお店があります。今は別の方の経営ですが当時この界隈はすんごく盛況でした

左側にはパチンコ屋さんの裏口、友人「かっちゃん」の家が経営していたスナックとかがありました

そのかっちゃんの店から川沿いに下がると同じくスナックなどがありカラオケ屋さんなどもありました

その先にもカラオケ屋さんなどもあり、以前在籍していた会社の仲間とカラオケで盛り上がったりしていました。驚く事なかれ、翌日その在籍していた会社から服務規程違反と注意され、始末書書いたことがありました。もちろん会社終わってからでしたが、社内規定に「流行音楽などに興じてはならない」と書いてあり、その頃退職した元総経課(総務と経理の合わせたような課)H氏が自分が歌が下手なので腹いせに服務規程に追加していたらしく、始末書に「チューブのさよならイエスタデ歌ってごめんなさい」と書いてみたら社長「わしもこれはおかしいと思う。第一Hの音痴は桁外れであいつの若い頃笑ったからこんなことになってしまったんだ」とのことで、始末書、受理されることなく又なんのおとがめもなかったのを思い出しました

中央公園

この公園に昭和40年代後半にスケートが楽しめるようコンクリが一部で敷かれていました。当時は空前のローラースケートブームでみんな「やいのやいの」と滑っていました。やれ「東京ボンバーズ」だのとか言いながらでしたが当時のスケート靴は車輪の部分が鉄製で遊んだ後触ったらやけどしたりしました。

母校「城東小学校」の裏側。この裏側の今体育館あたりに当時は木造の「講堂」があり、今年に入って来店下さったお二人とも当時にあった講堂の床下に潜ったとかの話しに花が咲いたりしていました

プールも私たちが入学した頃に出来たのですからかれこれ50年近くあるんだよなあ~

当時の名称は「警察道場」。ここでやっていた武道「銃剣道」で共に汗を流したのがなんと来て下さった「きし」君達兄弟というのにはほんと驚きました。彼の兄さんとは仲良かってよくふざけて「ら~いっ!」とか返事して二人して師範の先生に怒られたりしました。ところが先生「なんやその浮いたか瓢箪のような振る舞いは・・・!」と怒られたのですが瓢箪が浮いているのを想像して余計に笑えてきて結局「木銃」で面越しですがたたかれたことがありました。こんな話し・・・彼と50年ぶりに出来てほんと嬉しかったです。やっぱ母校ってええもんです

いろんな業者さんが

おでん屋を営むことで酒屋さんなど新たに取引をさせて頂く事が出来、こうしたつながりなどに「ご縁」を頂いている(縁を感じる)寬珍です。業務用の食材を持ってきてくれるとある会社の・・・とにかく運転が下手で困っています

最初小屋の角にぶつけ、今度から気をつけてねと伝えた数ヶ月後

今度はこの塀に当てて上の部分がずれてしまい、その時も「ええ加減にせい(いい加減にしろよ)」と怒りはしたが彼の会社には言わずに済ませてあげたんです。その代わり次やらかしたら口頭ではすまないぞと言った半年後

ここにあった川にはまらないようにしていた大きな植木鉢とブロックを当てて川にはめて知らん顔して帰ったので(義母の見ている前で当てたので誰か分った)その会社の社長に伝え出入り禁止にしてもらいました。実は彼、会社でも問題(車で)ばかり起こし2台ほど廃車にしているとのこと。内勤してもらったりの方がよいのではと助言させてもらいました。

漠然とした写真で申し訳ないですがこの近くのお店にも納品している業者さんがいて、その店のマスターからその業者さんが物が良くって安いから一度取引してやってくれないか?と言われ、了承したんですがマスターから但し書きのように「若いのもあってか口の利き方だけ悪いよ」と言われていたんです。取引して最初の頃はちょいため口が気になるがフレンドリーだと自分に言い聞かせてたんです。でもだんだん言い方が横柄になり、まとめて買っても「俺も小森さんのとこにわざわざ来た甲斐があった」とか「本当は大手さんに出す価格、小森さんみたいな人にもこの価格で紹介してるのでさぞ小森さんも感激なされたことでしょう」・・・怒るの通り越して面白くなり、物と価格は一流なので木之本にある作法に厳しい弁当屋さん紹介しておきました。担当替えの後の数年後彼に会ったら見違えるほどの立派さでした。その後彼はその会社やめましたが今も年賀状が来ます。昨年など転職先の新人研修担当したと年賀に書いてあり腹抱えて笑いました

買い出ししつつ・・・

昨日は偶然友人の弟さんが来店下さったりで驚きの一日でした

夕方から買い出しに行きました。この信号の近くに昔「交番」があったそうです。さすがそのこと知る人は75歳以上の方と思われます

この近くにケーキ屋さんがあり、自宅敷地一部にて頑張っておられます。その方ともかれこれ5年ほど会っていないので又機会見つけて会いたいものです

この近くに友人「ひでちゃん」・・・(店の近くの「ひでさん」ではない方)がいて、昨日どら焼き買いに来てくれたんですが、先日の雪の日にどける作業中倒れかけたそうで、血圧がむちゃくちゃだったと聞きどれくらいか聞いたら230・・思わず「にひゃくさんじゅう~っ!?」と聞き直したくらいでした。私も昨年倒れる手前での血圧190程だっただけによくぞ無事でと妙に感心していました

いろんな方々に来て頂きうれしい限りでして、そこからいろんなつながりが出来て「縁」を感じます。来店下さった方の名前などは申せませんがイメージで言いますと石橋蓮司さん風の方、5代目桂文枝師匠風の方などよくご来店下さり有難い限りです。さて、今日も頑張りますのでご来店お待ちしています


昨日は散髪など

昨年12月初旬に散髪してから中々行けず、やっとこさ昨日行くことが出来ました。

道中見かけたたこ焼き屋さん。このたこ焼き屋さんの大将とも懇意にさせていただいております。昨年はイベントが全くなくそういった会場でお会いすることが出来なかったので今年こそは何らかのイベントでお話ししたりしたいものです

散髪屋さん近くの眼鏡屋さん。今は移転されて駅の西側に新たに店舗を構えていらっしゃいます。めがねで思い出すのは友人「へぶちゃん」が当時流行っていた「黒縁のめがね」を買って当時人気のあった「うじきつよし」を意識していまし。意識して「俺って誰に似てると思う」なんて聞いたりしていたが、うじきさんと違い丸い顔の彼、みんなから「宇野宗佑さん意識してるね」と言われ、次の日から元々かけていためがねに戻したってなことを思い出しました。本人の気持ちとは別にめがねかけた姿、ほんと宇野先生に似ていたンだがなあ~

んでいつもお世話になっている散髪屋さん

この銀行も又名前が変わると思います。以前私のお世話になった近江八幡のお客さんの中にはこの銀行と取引して60年以上(70年近く)になるという方がおられ、その方なんぞアーバン銀行の前のびわこ銀行の前の滋賀相互銀行の前のなんと「滋賀無尽銀行」時代のことを知っておられ、まだ近江八幡と合併する前の「金田村」に本店があった時のことまで知っておられる方でした。

このお店、今もばあさんがやっておられるのかなあ~昔はよくおうどんを食べに寄せてもらったりしていました。20年以上前、番組の探偵ナイトスクープで映った事もありました。

漠然とでしかお伝えできませんが、ずっと運営してこられた飲食店、2月半ばにやめられるそうで、ちょい寂しく思っています。まだ正式に(例えば張り紙するとかお客さんに伝えたりする)発していないので店の特長なども申せませんが地元の商店主の方々、昔からよく利用されていたと聞いています

独り言つぶやきながら農協さんへ仕事で向かったりしていました。この近くの散髪屋さんも中々奇抜に見えがちなスタイルですが、センスある方なので変には思えないのも素晴らしいところです。友人が散髪学校に行っているときの同期だったらしく、彼の家に泊まったとき思い切って金髪にした彼、昭和の時代でのその格好・・・家族を含めかなり言われたそうです。

美湖母湖フルコース?

日付けまたいでの投稿になります。昨日は朝から

どら焼きを作り

店のメニューの品を作り

その前の日から風乾(ぶら下げて風を当てて乾かしていた)していたチキンを燻し

夕方からのお店の段取りしてお客さんをお待ちしたりでした。来られるお客さんがいろんなお話をされ、私共も楽しくお店の運営させて頂いております。能登川の駅前のような賑やかな場所での営業ではないのでいわゆる「ぽつねん」とあるので皆さん気楽に来られると言っていただき嬉しい限りです。中には「こうした場末の飲み屋が好きや!」と気に入ってくれているのか物足りないと言って下さっているのか分らないこともありますが少ない来客でも楽しくやっております寬珍です・・・寬珍です・・・・これじゃ「ヒロシです」のあのセリフみたいですな

遠近両用めがね

老眼が進み、どうしても近くの物など見るときめがねを外したりしていましたが見た目も悪いし(例えば文字読むときめがね越しに睨んでいるように見られるかも知れない)と言うことで「めがね市場」さんで遠近両用のを購入しました

今までのとよく似たのを購入しました。職業柄冷凍庫に入ったりしてレンズが凍り、それをタオルでふいたりしていたのでレンズが傷だらけな上チキンを燻す関係でフレームまでもがすすで汚くなっていたのも今回の買い替えの一因なんです。で・・・

こうしためがね拭きも頂きその入れ物のデザインが猫なのでかわいいなあ~と見ていました

こうした注意書きなど見ていたんですが

見にくいかも知れませんが拭く前にほこりを払ってから吹いて下さい・・・何だか漢字・・間違っておられるような気がしないことないのですが・・んなこと言いつつ視界が良好なので喜んでいる寬珍です

定休日・・?

火曜日か水曜日に休ませて頂いておりまして、今日はお店を休んでどら焼き製造に頑張っていました

一軒配達があり夕方から出かけました。小字「殿衛」付近もまだ雪が残っていてここに加えるように雪が積もるのかしらと思っていた今日ですが、4時現在東近江市は降ってもいないです

配達の道中に見る平成時代に流行っていた喫茶店。平成どころか昭和の時代もやっておられました。岐阜県の義兄は喫茶店によく行かれるそうで、日曜など家族で喫茶店のモーニングセットを食べに行かれるそうです。岐阜や愛知県とかの喫茶のモーニングセットは中々豪華です

平成時代に閉められたお店で言いますとここもかつてガソリンスタンドがありました。ここの店長さんはものすごく気さくな方で、私も商売人だと話すと握手し「共に頑張りましょう」と励まして下さったりしました。

この近くの中華料理屋さんに納品しました。またこの町には商売上の同友S食品さんもおられ、情報交換などさせて頂いています。情報の中身は主に「繁盛しているかどうか」「支払・・・スムースに貰えているか」「経営者の余談話」で、経営者の余談話はいわゆる数字に表れない(売上や利益)が一番面白く、やれ〇〇は奥さん、整形手術が趣味じゃないかと思うほど医者に通い詰めているとかあの店長、きれいなパートさんといつも一緒にいるが絶対「良い間柄」にならないのでなんで?と聞いたらあの店長は男性にしか興味ないとの事だったりと売上や支払に関してとは全く関係ないが面白く情報交換させて頂いています。んなこと言いつつノお休みのひとときでした

寺・神社・・・

正月の注連飾(しめかざり)などお宮さんにもって行きました

お宮さん、心が洗われます・・・

宮さんの隣に住んでいるようなものなのに中々参拝していない寬珍です

続いて土曜日に行なわれた仏壮(弘誓寺仏教壮年会)の報恩講さんのどら焼きを届けに

ま~さんの息子さんとこへ配達。彼とは同じ食品業界なのでいろいろと話に花が咲きました。こうしたお寺と神社の行事がぽつぽつある田舎の祭日です・・・


明日あさって頑張るよ

おでんの「美湖母湖」・・今日もご来店有難うございました。明日あさっても頑張りますので宜しくお願いします・・・今日は疲れたのでこの辺で・・・寬珍

彦根ぶらぶら

配達で彦根に向かっていたのでぶらぶらではないのですが・・・つきあって下さい

この近くとしかいえないですが得意先がありまして久しぶりに納品に寄せてもらいましたがとにかく去年の観光シーズン中のお客さんの入が少なく大変だったそうで、今年こそはと張り切ってはみたもののごらんの状態。ほんと私の店も含め「なんとかならんもんかなあ~」と店のオーナーさんと2人愚痴をこぼしていました

ぼや~っと写るこの会社は私が40年近く前に在籍していた会社です。私と同じ頃に退職した愛称「きりちゃん」とは今も連絡取りあぅたりしていまして、当時のことを懐かしんだりします。彼はどちらかというと無口で調子の良い事言うのを嫌がるタイプでよく「おれは寬ちゃんのようにうまく表現できないからなあ~」などと言っていました。ある日営業成績がもの凄く悪く社長に別室に呼び出された時、営業職から外されるのは嫌なので社長から「お前~うちの会社・・・どう思ってるんだ!」と聞かれたとき「私は〇大という看板のおかげで営業させてもらっていて、その看板があるからこそ・・・」と多分ですが苦し紛れに言ったら社長、側近のF永氏を呼んで「おい~っ!こいつ・・・嬉しいこと言うてくれるやないの」とえらい「受けた」みたいであまりにも受けたので彼・・・私に「たまには言うてみるもんやなあ~」と言ってくれたのが昨日のようです。しかし・・多分彼からみてひょっとして私・・・口八丁だと思われていたのかなあ~

その会社から琵琶湖方面に向かうこの道、彦根生まれの古い私たちは「昭和新道(しんみち)」と呼んでいます。当時としてはかなり広い道路でした。右側に中華料理屋さんがありますがこのお店もおいしいですし当時よく利用していました

琵琶湖沿いの道路との交差点。右側に見える建物は大学の寮で今は取引ないですが当時よく給食物資を納品させてもらっていました。よく教授もふらっと来ておられたりで、いろんな先生方ともお話ししたりもしました。英語の話になったとき当時私の中学校の英語の先生方がひどかったと言う話で盛り上がったりしていました。発音も何もあったものでなかったような気が・・・。又和訳の時、妙な意地というかこだわりのある先生がいてペットと書いてはいけなくって「愛玩動物」と書かなきゃいけなかったり一言・・・「変」・・でしたとその教授と盛り上がったりしていたことがありました。教授がおっしゃるには「アイアムアボーイ・ユーユアガール」・・・見たら分りますとかふたり突っ込んでは笑いまくっていました。そんな思い出を懐かしみつつの午前の配達でした

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