2023年11月
奇妙な気持ちの午前中
昨日の夜、懐かしい友が映っている画像のスライドショー見ながら一杯やってました
夢の中で8年前他界した母が「ひろちゃん!あんた同窓会でスライドショーみんなに見せたやろ!先生も見ておられてたばこ吸ってたのがばれまた呼び出しや!」・・・母と学校に行くと
T田先生が画像から抜き取った写真見せ「お前~電車でN山とたばこ吸って謹慎後バイク乗り回し並行して走るり注意したY先生のプレリュードのドア蹴って停学、そんでこれや・・・退学や!」と言われ鞄に教科書詰めて学校を去るなんとも言えない夢みました。今後酒飲みながら思い出の映像とか画像見んとこ
昨日もKちゃんから電話いただいたのに出られないほど受けた注文に製造が追いつかないんです。12月2日の農協のイベントには出店できるのですがここ2年ほどこの写真にある場所借りて能登川えびす講での出店、玉(ぎょく:業界用語で売る予定の品とかの意味)が全く足りずここにての出店は諦めることしました
帰りふらっと新しい隧道の横の道を通って見ました。このテナントの奥に昭和の時代「南大門」という焼き肉屋さんがあり、高校の同級生の家なのか親戚の方なのかが経営なされていました。ふと考えるに能登川出身の私の高校の同級生、さっちゃん、りゅうちゃん、のぶちゃんとかみなこの能登川にいずいるのは彦根から婿に来た私だけ・・・妙なもんです。
寒く・・・
夜など冷え込みがきつく冬並みですね
最近お客さんからおでんのつゆを日本酒(薄桜)で割る「出し割り」の注文が増えました。メニューとして上がっていなかったので早速増やしたく思います。この出し割り、七味をちょい・・たまらんです。
師走が近づきつつ
あと4日後には師走ですな。
昼に仕込みに入るのですがここ数日間の忙しさから仕込みの品が多くなり、あれが揃ったと思ったらこれが足りないと連日仕込みっぱなしです
どこからともなく現れますな
自販機で買って食するのもなあ~
このお店の彦根店、閉店されました。
とある倉庫。20年ほど前ここにディスカウントストアがあり豆腐など無茶苦茶安いと評判でした。
これは中国ドラマだそうです。その前は韓国ドラマが幅をきかせていたと思います。こうしてドラマ、南へ南へと行くような気がします。今は恋する猫・・・とかの題名が多く感じますが近い将来「2人のプノンペン」とか「ツゥクツゥクは恋の乗り物」なんてドラマが・・・んな訳ないですわな
この木・金曜・土曜嬉しいこと続いた
今週の木曜から昨日までとにかく予想以上の来店で嬉しい日々です。特に10席しかない私共の店、満席だからと帰られた方にはほんと申し分けなく思っています
これ・・鍋でして28センチの大きめの鍋なのですが昨日、高校生2人が来たので一度やりたかった「無茶苦茶大盛のスパゲティ」をサービスで作って出したら本気で食してくれ嬉しかったです。でも彼らより周りの人が「とうとう能登川にもおもうまい店が・・・」と年配の方々が受けていました・・いやちゃいまんにゃ、40年前に名古屋の「マウンテン」のスパゲティが土鍋で出てきたのでインパクト忘れられず、いずれ店したらやりたかっただけなんです。
と、いう事でおでん種極端に少なくなったので朝から大根茹でたり卵茹でたりのてんやわんやです。作業中「あ~いそつかしの・・・」・・銃爪(ひきがね)・・・をYouTubeで聞いてM隆想い出したりしていました・・・後は牛すじとかせんとなあ~
振り返るパートⅡ
また店閉店後にやってます
今年も寂しい「訃報」に接しました。芸能関係もそうですが高校の同級生の相次ぐ訃報にはほんとショック受けました
こうした雲見るとなんとなく一朶(いちだ)の雲の彼方に亡き友人がいるのだろうかと思ったりします。よっちゃんもそうですが「ごーいち」などほんまびっくりでした
46年前のごーいちと黄色の服着た15歳の私。死にかけた私を置いて先に逝くとは・・・
ガリ勉の私の2年後・・・明日、高校の同窓会があると聞いています。私は事情あり出席出来ないですが皆さんに宜しくと思っています。45年前の当時の写真を音楽付でUSBに入れて配りまくろうと思ったのですがちょい自分勝手な自己満足だったと反省しています。
今年の・・・PERT1
今年もいろんな事あったなあ~などと振り返り始めました
場所特定できませんが、商売上ではこの近くの老舗仕出し屋さんがなくなりました。昭和5年頃から頑張ってこられたのに残念です。女将さんは宮崎から嫁がれた方で某テレビ局の美人アナウンサーでした。ひと頃ちょこちょこっと納品させてもらっていましてよく女将さんから注文いただいていました。
この近くにパソでお世話になった方が会社を構えておられいろんな事を教えていただきました。今年とある商売を廃業し、新たな商売に向け頑張っておられると聞きました。リフォームのセールスマン、独立して健康食品販売、リサイクル関連、パソコン、携帯ショップ、民泊、スローライフアドバイザー、飲食店関係の宣伝(ホームページも含む)、ペット関連の・・・
※漠然とした写真で意味ないです
今年私の家の田んぼ、アパート経営しませんか?としつこく言ってくる人があっさりと退職して保険のセールスレディとして訪ねてきました。元々信用していないので私、話は聞かないよ、義父に言って下さいでした。あるとき上司3人と共に「お父さんをなんとか説得して下さい、お父さんのいわば相続で困るのはあなたたち子供さん方ですよ」とえらく「押して」来たので前もって調べてあることを知らない振りして聞いたんです。「契約成立したときの取引銀行は信金で宜しいですか?」「着工するとき私の友人の建設会社を入れて貰えますか?」「他の会社ですが例の欠陥施工だといけないので彦根の〇〇設計事務所にお願いしても宜しいですか?」と3つの条件クリアーしてくれたらお父さんに話くらい聞くよう話します。と問いかけた次の日から誰も来なくなりました。
ここ彦根銀座商店街のみならず全国的に商店街はシャッターが下りたままの通りになってしまってます。この通りのお住まいではないですが、今年倒産した私の店舗設置してくれたリフォーム会社の下請けとして入られていた職人さん、仕事した後の支払、全く支払ってくれず私の家に来て「なんぞ仕事ございましたらよろしく」と言ってきたのでいろんな工事等頼んでいます。職人さんへの支払していないのが分かったが故に数日前の水道の漏れも当時取付けてくれた職人さんへ言いにくかったんです。また、工事が遅いのもお金貰えないのが職人さん仲間で話が出回り中々着工出来なかったのも事実でした。昨年それで2年近く着工しないからと訴訟問題になったとも聞いています。施主としては前もって工事の一部のお金払っているんだから「どうなってるんだ!」ですわな。私も着工まで5ヶ月半(三協フロンテア所長K添え氏の話では通常22日で施主に引き渡し)かかりました。
宗教の名誉会長が亡くなられました。この近くに住む「青やん」は見かけによらず熱心な信者さんと聞いていました。彼はこうした「心の支え」がなくなったりしたとき忌明けまで昼、食事しないとか1日5回の「勤行(ごんぎょう)」を欠かさないとか聞いたので本当なのか本人に聞いたら「なんでほんなあほらしいこと・・・」でした。そやわなあ~でも昭和59年、選挙の時Kずみ氏は「これは聖なる戦い、聖戦や!信心する力を結集しようではないか!」と喫茶「ボ〇ト〇」で声高らかに言っておられました。また友人のことを「題目唱える湖国のタージン」などと言うのでKさんに「キダタローさんは浪速のモーツアルトと呼ばれていますがなんでモーツアルトのことウィーンのキダタローと呼ばれないんでしょうか?」と聞いたらK氏、笑って何も答えなかったです。と・・いう事で当時の目的S西君をその団体から外させて(連れて)帰り彼のお母さんに涙ながらに感謝されました。
やっぱみつわは最高ですな。私はこの店、鳥源(現すぎもと)、をかべの中華そばが大好きです
ラーメンで言いますと彦根駅前に新たにオープンしましたね
この姿見て「まさかの・・・」と不安になりましたが
屋根の工事でした
私にとって居心地よい店がなくなってしまったらえらいこってす。店に関してたたまれるのは理由つあります。経営者の高齢による引退、もしくは病気、売り上げ不振、収支のバランス崩れた(売上からっくる儲けが月100万円あっても借入、テナント料、人件費などで100万円支払っていれば何にもならない)、宗教にのめり込む(能登川でも店舗名は言えませんが旧〇〇協会に売上どころかほとんどの財産渡した人がいる)など様々です。特に今年は廃業、引退、倒産などよく聞く年でした
えびす講やった~
彦根の実家に行くことがあり普段通りに車走らせていたら
そういや彦根・・えびす講だった~
迂回して彦根駅前方面へ。この料亭で友人のお兄さんは結婚式を挙げられました。ちょうどこの数年後の私達が結婚する頃はいわゆる「結婚式場」にて行なわれたりですが。1970年代当時はこうしたところで行なわれていました。それよりずっと前になると嫁いだ先の家にてだったと聞きます。その頃の方々は結婚式とか言わずに「祝言(しゅうげん)をあげる」などと言っておられました
この会社には友人「まちゃ」が働いています(定年かも知れないが)。また退職こそはしたがその他多くの友人もここで働いていました。私は彦根東中出身ですが学区エリアには多くの大小バルブ工場がありました
この近くとしか申せませんが店舗に関してお世話になった会社がありました。親切ですし安くあげてもらえ感謝しています。例の適用を受け現在存在しませんが思い出多い会社です。
実家近くの喫茶店。土日お休みなようです。また、駅前の食堂も最近土日お休みになっています。私もどうしても体がいう事きかなくなったら週休2日にしようかなどとも思っています
彦根の旧交湾、関西電力の彦根営業所のあった場所(いまはない)付近に出来たドンキ。中々嬉しいです。がしかし91歳の実父は「なんや分からんもん売ってた」とのこと・・父にはちょい無理があるなあ~
しゅうまいや
餃子のお店と言うか販売所。最近私もどら焼きの自動販売機って面白そうだなあ~と考えるようになりました。
でも対面販売ならではの面白さもあるしな~鉄工所の敷地内での販売・・・インパクトあるなあ~さて・・店オープン準備に取りかかります
ひと雨ごとに・・・
ひと雨ごとに初冬に向かう晩秋の今日この頃ですね
今日は大型資源ゴミの日でした。朝から運んだのですがいろんなのが回収されようとしていました。諸事情もあるので写真は撮らずにいました。
とにかく寒いです。
こうしたのを取得について当時企業がこぞって認証目指しておられました。我々食品業界でも大きなメーカーはHACCP(ハサップ)取得目指して頑張っておられた時期がありました。商売人で、かつての近江商人は流通、小売りなどに関して基準ならぬ共通認識を持って商売されていました。「三方よし」が有名ですね。相手も自分も良識を持ち、世間も双方を認めねばってな感じですわな
近江商人紹介では「諸国物産廻し」と記載されていますが私の若い頃は「のこぎり商法」などと称されていました。また、他諸国(当時の日本の六十四州・・江州とか)にない特長として他にない多くの「情報量」があったのも事実です。
家訓も多く残され
その多くは今も通用する内容と思います。商売上の教訓ではないかも知れませんが私は「小人閑居して不善を為す」・・・しっかりしていない者は暇になるとろくな事考えないのでそれくらいならば気張って働け。「李下に冠をたださず瓜田に靴を履き替えず」・・・正式な言い方ではないですが李(すもも)の木の下で帽子をとったりかぶりなおすとすもも泥棒と間違えられ、また瓜田(瓜・・うりの畑で靴を履き替えようとしゃがんだりすると瓜泥棒と間違えられる。行動や仕草は場所をわきまえ誤解招くような事するな。「天網恢々(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」・・神が広げた天からの網は粗いが悪さする者の所行はきちんと引っかかるようになっている・・・などです・・・By・・私の実父
検診ついでの独り言
今日は循環器科にての検診で八幡まで行きました
行くときの能登川の交差点の様子。工事も進み道幅も広くなります
検診終えて医療センターからの帰り道。少し薬の量も減ってきて嬉しいです。
でも・・・やめたたばこの代金が薬代になっただけです
お昼、この商工会議所の中にある
このお店にてお昼をいただくことにしました。屋号はギフトですが進物屋さんではありません・・・
カウンターなどおしゃれ感満載です。夜など「誘う貴方は奥のカウンター~苦い目をしてブランデーあけた~」ってな感じですな。このセリフ、誰の歌のセリフかおわかりの方、この日曜日までにご来店いただいたら1品サービスさせてもらいます
で、あたしゃテーブルでハンバーグと海老フライのランチをいただきました。このほかスープ、サラダもついていました
このあたりも妙に懐かしい通りです
八幡の教習所に同級生H君(太郎坊宮近くに住んでいた友人)のお父さんが勤めてらっしゃいました。私達の当時の教習所にかかるお金と言えばせいぜい10~12万円でした
食品、外食業界のいわば「成績表」です。回転寿しのお店も業績、伸ばしているところとそうでないところの差が大きいです
能登川にもある居酒屋ですが、このチェーン店、すごく業績伸ばしてるんですよね。私・・今まで「コロナでなあ~」と悪い店の売り上げの言い訳にしていましたがそろそろ通用しなくなるので大まじめに宣伝等しなきゃ・・・
いよいよ今年も・・・
紅白歌合戦の出場者が発表されたりと晩秋から初冬の空気が漂ってますね。でも・・彦根生まれの私は彦根のえびす講が終わって初めて「冬が近づいたなあ~」と感じます。キーワード「〇〇女・・・」で、今なら考えも及ばない「見世物小屋」があった昭和40年代の彦根のえびす講・・
この農業まつりですが私の出店します・・・載ってない・・・
高齢者多い農協ならではの営業内容・・・
どうやら今年の間にこの店借りる人いないようですな
月35万出しても中々来ない
このお店に行きたかったが中々タイミング合わず。
あと少ししたらタイヤも交換せねば・・・