2022年12月
大晦日のモノローグ
大晦日は掃除などに追われています。
昨日一日中スマホから写真が送信できませんでした。どうやらアンドロイドのスマホのこの不具合、全国的だったそうです
お店も正月を迎えられる準備
お宮さんもお世話される方がきれいに年始を迎えられるよう準備しておられます。
左側に写る建物は最近まで銀行の支店がありました。この支店が出来る当時(昭和50年代)の「設立準備委員長」していたのが近所に住む市〇さんでした。その方は今年亡くなられましたが当時は体力も気力もあり数日間徹夜してでもオープンに間に合わせたと懐かしそうに話してくださったのが昨日のように思えます
10年ほど前までこの近くにある多くの会社の保養所等に食材を納品していました。正月は私しか業者が動いていないので三が日は休みなかったかわりに面白いくらいに注文が舞い込んできました。その3日間で1月の売上クリアー出来る程だったので当時正月は「おとそ」も頂かずにここと自宅にある倉庫を往復してばかりでした。
この近くに昭和時代お弁当屋さんがあり張り切っておられた方がいました。製造、800食そこそこなのにまるで10000食作っているような事言う人で少し人を見下すような言い方の方でした。でもその方がいたからこそお弁当屋さんもまわっていた(運営できていた)が病気で他界されたら急に業績がダウン。どんな組織にも煙たがられようがいなければならない人っているんだなあ~
※漠然と撮った写真ですので深い意味はないです
私の友人宅へ届け物をしました。彼は現在ひとりで暮らしていますが、優しくみんなから好かれる人です。来年、彼にも良いことがありますようにと願いつつ今年最後のブログをしめます
店舗年内最終営業日
今日で店舗での飲食提供は年内最終日です。
我が町の自治会長さん。もう少しですね。本当に2年間お疲れ様です
稲枝地区のこのアンダーパスも長年の工事の末完成しましたね。工事が始まった当初は翌年にも開通するのではと思っていましたが10年以上の歳月がかかるとは思ってもみませんでした
明日このポスターを貼ろうかと思っています。話し変わりますが年賀状、最近は数通しか出していないんです。子供が小さかった時など子供の写真に謹賀新年くらいで簡単でしたが最近はそれもおっくうになりました。中には「年賀じまい」される方もいたりで年一度の情報交換手段もなくなってしまいました。そんな中ここ数年年賀など出しもしなかった友人から孫が生まれたのでその写真付で送ってくれたのですが元々ちょっと「冷たい」人ですので多分年賀が余ったから寬ちゃんとこにでも送ってやれと言うことだろうと返信しませんでした。彼、変わった人でみんなで食べに行こうととある店を予約したが約束の時間になっても来ず、心配してみんなが代わる代わる電話しても返事無し。携帯の留守電にもみんながメッセージ。2次会で歌っているとき友人が電話したらたまたま彼が出て「何かあったの?」と聞いたら「ワールドカップ見てた」・・・何回も電話してくれていたの知ってると言うんです・・・みんなで集まること3回念を押してもこれ・・12年ほど前のこの無責任な返事を境に年賀を出さないことにしました。「〇〇ちゃん・・・みんなで食べようと予約していた関係でお前さんの分みんなで負担したりしていたんだぞ」と言っても上の空。みんなから「友達は選んだ方が良さそうだ」などと妙なアドバイスもらったことを今年のワールドカップ見ながら思い出しました
仕入れ調整
年末年始に向け各食材や消耗品等ストックするため業者さんに発注するのですが、今年は量が少ないので「持ってきてください」と言いにくく引き取る段取りで車走らせていました
彦根市内にあるタイヤ工場。この中の食堂に納品させて頂いていた頃がありました。又友人知人も多く働いていて「ま~き」の親友「つとじ」も働いていたし「ごんちゃん」「やぎにゃん」など仕事を通じて交流させていただいた方々も数多くいました。
私の車は左側に走りますが昭和の時代は左側の道はなく右側にある踏切を越えて製薬メーカー、ビール工場に向かっていました。その踏切を越えたあたりに飲食店などがあり賑わってました。又、当時は麻雀荘ってなのがあり家でジャラジャラさすとうるさいのでこうした「麻雀荘」があちらこちらにありました
この車関係の会社事務所は以前農協さんでした。建物は8角形、この8角形で思い出すのはそれこそ昭和の時代彦根市内、国道8号線外町の交差点にあった8角形の建物が個性的なレストラン「みちくさ」で、私は約40年ほど前その店でボーイしていました。当時焼いた物を鉄板に乗せて運ぶのが珍しかった時代でワゴンからテーブルに乗せるとき「お熱いので気をつけてください」と何度も言ったりしていました。現在、店で中華そばなど出すときも癖のように「お熱いので・・・」はその時からの癖なのかなあ~
国道8号線高宮の交差点近くのお店の前、今も畑をしておられる方がおられます。
それもきちんと耕し美しくされています。今のこの店舗の前のパチンコ屋さんだったときもきれいに耕作しておられました。私・・・家で作る店用の大根、人参、じゃがいも、トマト、きゅうり、ネギなど義父義母に頼りっぱなしで申し分けないです。
今年は私もダイハツ車を購入しました。信頼する近所の自動車屋さんから購入しました。こうしたディラーさんからでも良いのですがあまり詳しくないので(おかしい話ですけどね)M自動車という専門家からのアドバイス受けて買うことにしました。今年パンフレットだけもらいたくディラーさんに立ち寄ったとき若い店員さんが話しかけてくれ世間話していたんです。その時4気筒エンジンの話しになりダイハツさんもかつてコペンという車に・・と話したらうちはそんなエンジンありません。第一我が社の軽は昔から3気筒です・・・「でもね、L880Kエンジンってなのがあったんだよ」と言っても「880の軽のエンジンって軽は現在660ccだから輸出用か何かのお間違えでは?」こりゃだめだ、もちろん今は存在しない古い話した爺じいの私も良くないですがほとんど車両の勉強しないのもどうかと思いました。これには原因がありダイハツの軽は女の子に人気があるのでそれDOHCだのインタークーラーだのそんなこと知っておく知識でなく可愛いとかお洒落がセールスポイントの9割占めるからこんな勉強不足の若手しか育たないのだとこの会社の今や役員しているS君が嘆いていました
垣見のアンダーパス同様この交差点も少し幅が広がり便利になりました。今年はこの能登川地区もインフラでいろんな変化が伺えました。さて、来年のインフラ整備はどうなるのかなあ~
こんなもんです
しっかりしなきゃいけないと思いつつ還暦超え・・
朝ご飯の後に飲む薬も減って6種。当初は9種もありました
血管が影響なのか夜中に足がつるのは毎日。薬でなんとか和らげてます・・ほんとそれで目が覚めるつらい毎日
寝る前には足のかかとのケア「ヒビケア」を塗るのが冬、就寝前のルーティーン?・・んで腰が痛かったりで・・・辛い!
手もかさかさなので塗り塗り・・たまに厨房で軽いやけど(油のはねたのが手にかかるとか)するのでオロナインH軟膏も常備・・・体、つぎはぎだらけの私です。体に限らずしっかりしていないのが調理以外の作業
この間「おでん」と書いたちょうちんが壊れて緊急というか応急的に営業中のちょうちんを付けたのですが逆さまでした。で、中国に精通したお客さんから聞いたのですが良く中華料理店に「福」という漢字を逆さまにしているのは福が来ると言う意味らしいんです。中国語では福が逆さまになっている様子を「福倒了:フー・ダオ・ラー」と言います。面白いのは福が来るという中国語も同じく「福倒了:フー・ダオ・ラー」で一種の「縁起担ぎ」の意味合いがあるらしいんです。でもその方から「君~営業中の逆さまはなんの意味があるのだね?」と笑われました
昨日は売り出し今日は奉仕
昨日はJA東能登川さんの直売所「菜々笑」さんでクリスマスフェアーと称して売り出していました
とにかく昨日はもの凄く寒かったです
9時から12時までの販売時間ですが心の叫びは・・「帰りたい」・・ほんま寒い
終了手前の様子。本数は少なかったですがなんやかんやと売れてホッしていました
んで今日は日赤奉仕団の奉仕作業として躰光寺会議所の清掃作業に参加しました。この作業で今年度通常の行事は終わり(災害等の場合は別途出動)、最後はお茶など飲みながらお話ししていました。
その後仕入れとかのついでにラーメンでも食べにこの店に立ち寄りました
いつも対応の良い店です。私の知る少ないお店の中でベスト3に入る接客の良いお店です。
どうしても気になるのがこうした価格などです。とにかく今年は値上げ値上げの一年でした。来たる2023年はどうか今年のようなことのないようにと願っています
あ~さむ
今からJA東近江直売所「菜々笑」さんにて昼までスモークチキン販売するのですが寒いです。で、昨日は彦根に行くことがありました
彦根市内の某お店。このお店、40年近く前は私の知る方がお見せしておられました。当時勤めていた会社の忘年会したのですが社長、とにかく口が悪く「昨年は〇リンスホテルでやったのに今年はこんな惨めな店で・・・」店長さんなどおられる前でよく言うなあ~と思っていました
この建物とうちの建物は同じメーカーです。施工してくださった会社も同じで、先日2年ぶりにうちに「断熱処置されませんか?」と営業に来られました。でも、工事に取りかかられるのが遅い会社で、私の店も2月にお願いして完成したのが半年後の8月、他の店舗ではこんな簡単な箱の設置に1年10ヶ月かかり裁判になったほどなので、工事頼んでも1年ほどかかるとすれば今日みたいな極寒の日、真夏の炎天下に壁がない状態というのも困るので返事せずにパンフレットだけ受け取りました。
岐阜の人にとって一六銀行と共によく知る銀行、このふたつは仲が悪く、40年ほど前一六銀行が新本店を16階建てで建てたのに対抗してこの会社の本店が17階建てだったとか滋賀でもそういう話しを聞きました
私の母校彦根市立城東小学校。最近同窓会好きな人から今度こそは絶対に来いよ!と言われるのですがこちらは営業中と言うこともあるし、あまりそこまでして旧交を温めたいとも思わないので・・
50年前とそんなに変わらない風景です
帰宅したらちょうちんがない・・・
えらいこってす。とにかく応急的にほかの「営業中」のちょうちんぶら下げることにします
師走の独り言
仕入れ先から年末年始の営業案内が来ました
とある業者さんは12月30日から1月4日までの正月休みです。私のお店・・今回12月30日から1月10日くらいまでお休みいただこうかと思っています。ちなみに卸売関係で正月明けにほしい品について最終発注はこの業者さんは29日に受注すれば1月5日に届けてくださいます。私の前いた会社など学校給食が中心だったこともありなんと正月明けに品を欲しかったら12月15日までに注文しろとなんともま~・・・これ以上言わないでおこう
道の駅の食堂ですが感じの良い庶民的なお店です
この施設、やたらと犯罪防止を訴えたり
やたらと禁煙を訴えたりマナー、犯罪に関して敏感な施設なんだなあ~
彦根のこのお店、いつも流行ってます。このお店の以前は服屋さんでした。この業務スーパーを運営する会社「神戸物産」は40年近く前から売上を伸ばし続けている凄い会社です
神戸つながりで言いますと前走るトラックのナンバーは神戸ナンバーなんですが、兵庫県には神戸ナンバーと姫路ナンバーのふたつで丹波篠山の人の車も神戸ナンバーなんです。
岐阜県は大垣に本社を置く卸売会社の滋賀支店さん。岐阜の言葉も慣れてきましたが最初は??ってな時もありました。岐阜県も場所によりけりなのですが商品が在庫になかったことを「品がおらんに」と言ったりされるし、私達滋賀県の方という時「滋賀のじんは」と言うので最初さすが天下分け目の戦いが繰り広げられた関ヶ原がある地域だから「滋賀の陣」というのか~と思っていました。そうでなく「あの御仁(ごじん)は・・・」と言うのを略してらしいのです。又、若い頃岡山の方からママカリという魚の酢漬けを分けてもらっていたことがありました。滋賀にはこんな美味しい物ないと話したら「そりゃおえんわ~」と言うので最初それは終えると言っているのと勘違いして岡山ではもうこの魚は捕れなくなったと思っていたことがありました
農機具を移動させていられます。この数年で離農される方多く、我が家もお米の乾燥機、選別する機械など処分しようと思っています。農業のあり方もお義父さんの精神的健康のためしばらくは続けようと思っています。と、言いますのも3年ほど前大病してその年の田植えも稲刈りもせず営農組合に頼んだら夏あたりからお義父さんの様子がおかしくなり用もないのに田んぼに行き帰宅したらイメージは「くにゃ~」となってしまいがちになり怖くなって「来年は私・・頑張ります」と言ったら急に元気を取り戻された経緯がありますので・・・でもお義父さんより私の方が「くにゃ~」となりそうです
冬だなあ~
今日の朝など中々寒く、新潟では国道8号線で行きのための渋滞が出来、自衛隊に災害派遣要請が出されたと聞きます
段々年賀状でのご挨拶をしなくなる会社が増えてきました。暑中見舞いもそうですが同じく中元歳暮もしなくなる方向になりつつあります。どんどん「習わし」が変化して行っているように思えます
何故かこの風景見ると「風に震える~緑の~」と加山雄三さんの歌を思い出してしまいます
東近江市は福堂町。ここからドラマーで世界の「田井中福司さん」が誕生しました。我々にとって誇りです。で、話変わるがドラム叩く人というと誰を連想しますか?XJapanのYOSHIKIさん、古いところでは石原裕次郎さんの映画でのワンシーン、それで言うと1985年当時人気だったバンドCCBの笠浩二(りゅうこうじ)さんが一週間ほど前に亡くなられました。当時としては奇抜な髪型でした。私くらいの年齢の人がよく逝去されるので寂しいですがわたしも人のこと言ってられない立場ですので・・・
ここって・・・感応式信号じゃなかったっけ?・・・道路事情で言いますと今年は能登川地区垣見の「アンダーパス(隧道)」が完成しました。いろんな物が変わりゆき、今年の能登川えびす講も駅を挟んで東と西では人の流れが違ったようにも思えます。コロナ禍でと今まで気づかなかったことがこの秋あたりからその「変化」を感じるようになりました
ほんの5分
仕事の途中帰り際、稲枝は石寺地区にあるベンチに腰掛けてみました。ばたばたしている中5分間でしたがベンチに腰掛けて琵琶湖眺めていたらなんだか落ち着いた気持ちにさせてくれました
腰掛けた時、今年亡くなられた山本コータローさんの「岬巡り」と言う歌が頭でなっていました。ここは岬ではないですが、私には想い出のある岬があり、名を「恋路海岸と言い能登半島にある海岸で、若い頃訪れた時には近くに駅があり(今は廃駅らしい)駅舎の中にノートが置かれてありそこにいろんな当時の心境などを書き込んだ事など思い出しました。思わず「今ではそれもかなわないこと~」と口ずさんでしまいました。
初の・・・
文字ばかりですみません。昨日早朝から各仕込みとスモークチキン燻し、それも極寒の中で。寝不足と長時間の燻し・・店に入って3時間後の8時半から立っているのもやっとこさの状態でとうとう8時45分くらいから店から外れて車の中で休んでいました。仕事・・・どうしても年末はスモークチキン(クリスマスなど)、どら焼き(届け物や仏事)、そして店も予約をいただいたり・・・でも・・・体が資本なので仕事量・・セーブする事にしました。