2022年4月

肥料撒き

みんなで行なう麦の肥料撒きに出役しました

朝の集合風景

撒くのは「尿素」。マレーシアからの輸入品です

それをこの機械に

入れて

撒きます。とにかく今日は雨がいつ降るか分らない状態での作業でした。

いよいよ田植え時期

今日は代掻きの前の作業しました

ドラム缶、丸善石油ってまた懐かしい・・・で、じじいの独り言言えば「お~モーレツ」・・・のCM。分る人は共に爺、婆ですな

圃場にてまずは隅の土を真ん中へ

こうして引っ張ります

んで作業開始

かぶらが浮いているのかと思ったら野球のボールでした

んで最後にレーキで再度土をならして終了

この影・・・沙悟浄ですな

こうして代掻きに向け段取りしつつ帰宅して大急ぎで開店準備・・・それでは・・・店に行きます

ふと見たもので思うことが

何気なく見ている物でふと思ったり感じたりする事ってあります

建設業界も週休2日にて働く方々の事考えるようになりました。私が設備屋にいた昭和59年など休むことなどそんな「休み」という単語はどこにもなかった時代でした。新〇冷熱という大手から転職してこられた方など「八尾の西武の設備関係では680日休まなかった」とか「社会人になって14年(当時)になるがトータル70日くらいしか休んだ覚えない」ってなこと言う人がざらにいた時代でした。

家の玉葱ももう少しでできあがりです。スモークチキンのソミュールなどに使います

いつ見てもイラッとくる冷凍豚肩ロースの箱の絵

畜産品もいろんなところから入るもので、馬刺しもポーランド産なんてのもあります。また、バヌアツと言うあまり聞き慣れない国から牛肉が入ってきたりもして世界各国に食材はありますがとにかく価格が上昇しすぎなのと入荷のメドが立たない・・・えらい時代になりました

昔社会人になって間がない頃いろんなカタカナ言葉も覚えておかなきゃと読んでいた本が40年ぶりに見つかりました。でも、時代感じるワードが多く

ナウ・・新しい時代感覚にってな解釈で・・

使われ方としてナウい・・・すんごく久しぶりにこの単語が目に入りました。新語も40年経つと古文ですな・・・笑

結構時間に追われつつ

親戚関係での配り物、田んぼのこと、配達などで結構時間に追われた一日でした

とにかく暑いくらいの日中でした

彦根市内松原町にいる親戚の家に配り物を。その後彦根港で一息。こののんびり感が好きです

配達で八日市方面へ。最近はあまり使わないがこの道路、23歳頃は毎日通っていました。

田んぼに水を入れるのに10時頃にバルブひねったら夕方には・・と、思っていたら半分くらいしか水がたまっていませんでした。さて、明日定休日はちょいどら焼き製造に頑張ろっと・・

接客と言うより

うちのお店ではいろんな話しなど聞かせて頂いたり同世代ですと当時の事柄などの思い出でなどで盛り上がったりします

昨日からニュースなどで報道されている知床の遊覧船の話をお客さんと話していました。ちょうど40年前の1982年、同じように遊覧船に乗っていたことを思い出しました。ご覧の通り船、岸壁まで距離を取って操縦しておられました。

遊覧船「ライラック号」。私、柄に似合わず(?)この花好きで香りも好きですが花言葉も好きなんです。思い出、友情。写る4人での若い頃の思い出、そして友情・・ぴったりです。また紫色のライラックは「初恋」「恋の芽生え」で白は「青春の喜び」「無邪気」・・・今となりゃ歯が浮きそうなセリフですが・・・この花言葉、どれをとっても好きです。ちなみに私は左から2番目

知床五湖というのだから例えば「蓮月湖(れんげつこ)」とか粋な名前でも・・・と思ったら一湖二湖・・・五湖・・・う~ん・・で、私の左隣の奥やんと先ほどの写真船長さんの隣にいるがっさんは共に約20年前他界しました。そういう意味でもライラックの花言葉が「心にしみます」・・

この頃の私・・希望も髪もあったなあ~

単なる独り言

雨ですな~

NHKの「正直不動産」ってなドラマありまして、面白おかしく見ています。しばらく来なかった不動産会社の人が慌てるように「お宅の土地の件、もうお考えは固まりましたか?」と訪ねてきました。賃貸経営もそうですが彼ら営業の報奨金、18%・・・1億の契約なら1800万円・・・営業活動・・こりゃやめられないはずですわな

特定してはいけないので芹側でも・・・契約絡みでは生保、2年前入院したとき受けるべき(下りるべき)保障について連絡したら「下りませんし、契約内容よくお読み下さいましたか?」契約内容見たら下りるので再度連絡したら「そういう方もいらっしゃいます。私としてはどうなのか分りかねるので上と相談し・・」話にならないので本部に連絡したらすぐ下りました。担当、ベテランさんですがこれほど勉強不足とは思いませんでした。

この会社にはいつもお世話になっています。皆さん熱心な方々で私はかれこれ30年ほどおつきあいさせているが、私語は一切なく勤務中従業員さんの世間話など聞いたことないです。

この会社の「だし」関係はピカイチです。

ひところこうした出窓っぽい建て方が流行ったなあ~飲食店関係でも喫茶店とか中華料理屋さんなどもこうしたスタイルだった気がします

生協さん。私の知り合いもここに勤めておられた方もいたし、ここから購入されている方を複数人存じ上げています。こちらさん、今はどうか分らないですが販売とは言わず「供給」と言ったりされます。ひと頃はいろんな集会なども盛んに行なわれたりしていました。職員の方に集会では「テーゼ」とかのワードが出ますか?一般の会社では〇〇課長とか言うところ「同志〇〇課長」ってな言い方しますか?と聞いたら「んなわけないやろ!」と笑って言われました。

よく彦根へ

実父の病院通いの関係で彦根へ行くことが多くなりました

実家近くのたばこ屋さん、廃業なされていました。

この本屋さんは元気に経営なされていますがこうした町の本屋さんがどんどん廃業されていて時代の流れとはいえ寂しいです

収入印紙を買いに彦根市内本町の郵便局へ。この郵便局は彦根気象台の近くと言うことで昭和40年代には気象庁の人が本庁へ送る資料など郵送するのによく使っていられました。福井さんという方がおられ、TVの天気予報の時もの凄く緊張する方でしたが昭和40年代氏が地方気象台勤務の頃ははこの局を頻繁に利用されていたそうです

私がひと頃所属していた会社。わずか3年ちょっとしか在籍していなかったですが楽しかったです。この会社の役員しているN君からこのGW中に店に寄せてもらいたいとの連絡受け35年くらい会っていなかっただけに会うのを楽しみにしています。

今の会社もそうですしこのあたりも

このあたりも彦根西中学区です。私は東中学区出身ですがちょいカラーが違ったようにも思えます。こうして最近彦根にての話し多いですが生まれた場所付近はやはり落ち着くもんです


独り言小ネタ

定休日の今日はちょこまかしなきゃいけないことやっていました

彦根市内の管材等卸売などされている会社。昭和時代には「林一雄商店」という屋号でした。設備関係の職人さんが買いに来られるのですが時代ですわな~「長谷川一夫商店」ってな覚え方しておられたりで結局フルネームで言わずに私達は「林さん」と呼んでいました

こうしたネーミングのお店ってあたたかそうですね

私の店舗と同じタイプですがやはりこうしたかたがたのお店はセンスあるので集客が見込めそうに思えます。うちの「工事現場事務所」っぽいの・・もう少し改装しようかな~

かつてのとある店。個人で営む店舗がどんどん減り、チェーン展開された店舗がそれに変わりつつあります。かつては野菜は八百屋さん、魚は魚屋さん、肉は肉屋さんでしたがスーパーが全てをまかなってくれます。それと共に各商店主は子供に後を継がそう共思っていないですしな~

この付近、京町、大東町などの町の境目でもあります。右側部分はかつて「安養寺町」と言う名称でした。前にも述べましたが私の実家は以前は「柳町」で情緒あって好きでした。

こうした町工場、彦根はかつて「バルブ作り」が盛んでした。町のいたるところで加工する為金属のすれる音が聞こえたりしていました。そんな産業盛んな彦根で育っていながら大昔の映画「キューポラのある・・・」のキューポラって白樺などの樹木と思っていまして、鉄をとかす為の炉だとずいぶん年を取るまで知りませんでした。

この近くにお世話になった方がおられまして、偶然とある店舗でばったり会いました。体力も気力もあった若い頃の話しを聞かせて頂きました。その方、自分の事を話されるのはよいのですが自分の過去を「俺が〇〇に関しあの伝説を作った」「人は俺のことを策士(さくし)の〇〇と呼んだ」「滋賀初の〇〇と言う売り方したのは俺だ」・・・嘘ではないが盛りすぎなところのある方ですが楽しい人で口癖は「時間あるか?」で、うっかり「はい」と答えたら今日のような事に・・・あっち「うろうろ」こっち「うろうろ」の定休日でした

ひと休みしたいなあ~

最近スケジュールが混み合いちょい体しんどいので、今週は昼間など休憩しもって(休憩しながら)一週間を過ごそうと思っています

彦根市内の入居者募集中のこうした家ですが最近見かけなくなったなあ~昭和40年代など彦根駅前にもこうした家などが多く友達も多くこうしたスタイルの家に住んでいました。夕食など作っておられてもその家の夕食が何か分る程(例えばカレーの匂いとか)人々の生活そのものを感じることが出来ました

彦根城付近、お堀のはたにあるカトリック教会。元々戦後進駐軍(米兵)がこのあたりに駐屯する予定だったそうでそのための教会建設でしたが当時彦根のお堀など中心にマラリアが流行し急遽大津に変更されたが教会だけが残ったと聞いて

最近懐かしい人達に巡り会うことが多く、実家から古~いアルバムを引っ張り出してアルバム見ながら懐かしい話しに花を咲かせているのですがぼろぼろなので

新しくアルバムに貼り直そうと思っています。店に来てくれた懐かしい人に見て貰おうと思っています。

価格上昇、輸入鶏肉も昨年の倍になりました。元々インフレの方が商売はしやすいとも言われていますが、それは景気がよく値段の高い物が次から次へと売れたりする事で今回の場合は「いびつな」価格上昇で、正常な価格に戻らないとあらゆるところで弊害が出てくるのではないかなあ~

今月29日には肥料を撒きます。この畑には麦が育っているのですがこれは元々「転作」で、いわゆる「減反施策」でこうした麦などを植えることになったんです。米が余っているから作りすぎないでほしいと言うのが政府の考えなのですがA県だけは無視して水稲作付し続けるので滋賀をも含む他の県に割当面積が増えてしまい「やったもん勝ちなのか!」とぶ~いんぐの雨嵐

こうした細い道、妙に落ち着くんです。春はのどかで好きです・・文章がおかしいなあ~きょうはこのへんで

草刈りとか点検とか

植える田んぼの周りの草刈りや田植え機の点検などしていました

草刈機、これをふたついっぺんに持ち歩くN君って力持ちだなあ~

刈る予定地は小字「西浦」

さっさと刈り

帰宅して田植え機の点検

今回撒く肥料は「これいいね」・・・いつものごとくのネーミングで前回は「すご稲」・・

10a(1反)あたり35Kg程撒きます

今回のは粒子が小さいのでそれに合わせた施肥

この位置からダイヤルで調整します

後はブラシとか

爪(苗を取り植えるための部分)の案配などみつつ

下に潜ってタイヤの空気圧など見て終了しました。後半月ほどしたら田植えのいろんな作業、今年は店もそうですが実父をGW中に病院に連れて行ったりのスケジュールの合間・・私もGW明けには定期検診で経過観察・・・農機具が動かなくなる前に私が動かなくなったりして・・

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