2021年9月

開店は10月8日に

お店の再開、10月8日の金曜からになります。今現在頭の中はこの土日に行なわれるお寺の「報恩講」さんのことで一杯です

打合せなどでそのお寺に行くとき見かけたのが警察車両。何かあったんかなあ~とにかく今年は役の仕事、2人で3人の仕事しているので分らないことだらけに加えて上席の方の仕事もしていると頭が混乱・・・・報恩講さんにお参りしたことなかった者の末路ってこんなもんです

とあるお店のリニューアルオープン直前の様子。冷凍冷蔵庫などの搬入が行なわれていました。こうしたコロナ禍での緊急事態宣言後の10月に再度オープンされるお店が多い中来週金曜日までって・・・どうよ~と思えますが初っぱなからの開店できないこと、ひらにご容赦下さい

変わりつつある環境

仕事に限らず令和になり取り巻く環境が変化して行くのを感じたりします

大手問屋さんの支店さん。コロナ禍と言う事で出荷量もガタッと落ちたと支店長さんも嘆いておられました。こうした写真のような大手はよいものの小さな10億そこそこの売上の問屋さんで加えて同族となれば身内の収入守るためさっさと従業員の人減らしして乗り切る体制を取ったりと「えげつない」もんです。で、景気など回復したら口癖のように「募集しても人が来ない」・・・平成時代から売上、半分になったのにもかかわらず本質に気づいていないのも情けないなあ~といつも思っています

とある銀行のロビー。今後銀行も各支店数を縮小する傾向にありそこまで人を投入せずに出来るようになりました。保険関係もそうで私が40年間加入していた保険などいわゆる「いざ」と言うときなんの役にも立たなく今までのはなんだったんだろう?とがっかり通り越して呆れました。契約書に書かれているとおり申請したら「降りるとは限りませんよ」「ここにその文言が記載されているじゃないですか」「記載されているからと言って・・・ま~上席がどう言うか・・・」直接本店に確認したらあっさりと給付。日本最大の生保ですらこんな対応ぶり・・・これも令和になって考えが大きく変化したと感じたひとつです。

学校給食では中国産を使わない方向で進んでおられます。また、環境に関し空箱はもとより空き缶、空き瓶をも持って帰るように指示する学校もあります。福祉と環境のために戦っているってなイメージの先生方もおられ、生徒の皆さんも福祉、環境の問題は大切なのは分りますが冷凍車で配達していた当時冷凍機を止めるわけに行かない関係で車のエンジン付けていたらえらい剣幕で怒ってくる生徒さんがおられました。自分の娘よりも年下の女性に受けている説教・・熱心なのは分るが段々顔・・「グレタ」さんに見えて来ました。

コカコーラの配達の車。コカコーラは何らかの時に飲んでいた清涼飲料水だった気がします。今でこそ言うが高校の頃N君の家でコーラにウィスキー入れてふたり「グ~ラスの向こうを~見つめていたのは~」ってな永ちゃん気取りで飲み過ぎ夜中げ~げ~吐いたこと思い出しました。昭和・平成・そして令和になっても変わらなく飲んでいますがそれぞれの時代に思いである飲料です

こまごまと段取り

昼、お寺のいわゆる「寺費」の徴収などしつつ来週木曜あたりに再オープンできるように段取りなどしていました

この近くに住む方へいわゆる「他所」の寺費頂きに伺いました。ちなみにこの近くには後輩も住んでいます。

帰宅して店に向い、厨房の備品洗浄したりなんやかんやと清掃し今度は配達

配達前にのどが渇いたので何かないかと冷蔵庫見たらなんとも言えないネーミングの飲み物が・・・ヨーグルッペって・・・昭和の時代「〇〇っぺ」ってなニックネームの人いたなあ~スポ根ドラマ「柔道一直線」でも「みきっぺ」ってな登場人物いたなあ~

五個荘の農協跡。昭和当時の賑わいが聞こえてきそうな雰囲気です。ちなみにここではないですが五個荘地区に中学生当時「とのっぺ」と言われていた方がいらっしゃいました。

店オープンするとき参考までにこのお店のレイアウトなど勉強もかねて食べに行ったことありました。年配の女性店主が作られる品はまさに「お袋の味」で、美味しかったです。また、カウンターでの商売なども勉強になりました

建物でもうひとつ参考にしようと思っていたのがチェーン展開されているこのお店でした。長浜で飲食店経営していた友人にこうしたスタイルのお店って地面は自前で建てるとしたらいくらくらいかかるか聞いたら彼、「2000万くらいは最低かかる」とか適当に言うのでこうしたことは自分で業者さんなどと相談するのが一番と言うのが勉強になりました。3分の1くらいしか資金ないので結論から言うとプレハブと言うことで落ち着いたのが今の店です。ちなみにアドバイスくれた彼は10年ほど前店たたみました。一度電話がかかり「俺・・・今とある人の秘書してる。顔効くので卸売で出てこい」と言われたがやんわり断りました。彼、その後所属する団体が分裂したとかで調理業界から縁のない仕事に就き今現在何してるのか高校の(私の通った高校と違う高校)同級生に聞いても口を濁されました

再オープン前に

現在再オープンの時期、10月6日あたりと思っています。先日もお話ししておりましたよう10月2~3日はうちの宗旨では大切な報恩講があり、この報恩講は「骨を砕きても謝すべし」と言うくらい大切な行事(ちょい盛りました・・・すみません)でそれが終わってから仕込んだりと考えています

右は買ってきたバナナ、血圧下げるためにもカリウム含むバナナはその原因の塩分を排出してくれるとのことで・・・左はうちでとれたサツマイモ。これも体に良いとのことで・・・数年前からたばこはやめたし、酒もほとんど、歩いたりして軽い運動しつつ食事も気を遣っているつもりで近所の先輩に「もう・・・健康のためなら死んでも良いくらいです」なんて冗談言っていましたが、笑って聞いてくれていた先輩が急逝され、ますます健康が気になるようになりました。情けない話し歩行・・・うまく出来ず歩いていてもひょこひょこってな歩き方なんです。まずはリハビリウオーキングでこれから改善しないと

業者さんからカレーのサンプルもらいました。このメーカーさんって

こうした「そばつゆ」とか「シャンタン」のメーカーさん。いわゆる出し関係のメーカーさんじゃないの?と聞いたら「今後はこうした出しのきいたカレーなど・・・」との事でした。で・・・

「みんカレ」・・・自動車関係のSNS「みんカラ」みたいだなあ~業務用関係ではいろいろな意味での再編成が進んでいてもう平成20年代生まれの方など「加ト吉」をあまり知らないらしくびっくりしてます

介助必要だったり固形が食せなかったりの方用の食材なんですが、このメーカーさん、元を言えば大手商社「伊藤忠商事」100%子会社でした。で、東北にも工場があるのですが東北の震災時壊滅的な打撃を受けそこから地元の人々と共に復活したその気仙沼工場からの品なんです

方言・・言葉の意味は今ひとつ分らないですが地元の方の熱意伝わるフレーズなんだろうと思います。私のような昭和の食品事情しか知らないじじいはこのメーカーの「国産かぼちゃ挽肉フライ」を思い出します。昭和当時は「かぼちゃ挽肉サンドフライ」と言っていて販売する側の問屋では略して「かぼちゃサンドフライ」なんて言っていました。前いた会社で当時このメーカーを巡りもめたことがあり、滋賀の代理店の在籍していた会社、当時のこのメーカーの担当は京都営業所のN所長さんでしたが販路広げるが為にも大手F社にも販売し、同一メーカーを互いが値引き合戦することに至ったんです。こちらは親会社同様の名〇が学校はうち、外食は向こうと言い出すし向こうもグループ最大のK産業役員がここはひとつ住み分けなどしないで自由に競争すれば・・・「向こうがお宅の商品売るのは構わんがかぼちゃサンドは困る、長年気に入ってもらう為してきた努力ってのもあるから・・」に対し「決めるのはお客さんです」・・・「言った言葉撤回できないですよ」「私はヤヨイのNです。私なりにお客様のこと思ってのお話で、私のご意見は会社の意見です」・・・まるで広島を舞台にしたあの映画の小林旭と梅宮辰夫の口論のシーンみたいでした


農作業して夕方八幡

朝方麦の圃場の荒起ししていました

体調優れない日があったりでトラクター作業も久しぶりです

秋の日の乾燥している圃場は入りやすいですし耕していても楽です

周りでも作業されていたり秋の農家の(転作作業の)風物詩ですな

夕方餃子食べに八幡へ。この店の道路隔てた向かい側にあるのは

葬儀場でして、20年ほど前友人D東君の葬儀がここで執り行われ参列したことを思い出しました。当時から知人、親族の葬式は寄せて頂いていましたが同い年の友人は初だったので寂しく複雑な気持ちでした。その4年後友人「がっさん」、続いて「おくやん」と訃報が続きその頃から「もう若くないんだなあ~」と思うようになりました。秋口の気温の低下と共にさみしさからこうした事柄を思い出したりしている寬珍です

進まず振り返ってばかり

どら焼き、スモークチキンなど順調に売れていますし卸売もわずかですが需要があり有難いこってす。

どら焼き加工し終えてほっとひといきついています。加工しているときなどスマホからYouTubeで1980年代の曲聞いたりしています。当時はそうは思わなかった歌に「涙を拭いて」という歌があるんですが、こうした歌の通りに店でどちらさんかが巡り会われると面白いだろうなあ~と思っています。該当者と年末にその方の希望叶うように「じじいの計画」ねっています

前を歩いておられるのはうちの神社の氏子総代さん。この方が総代さんになられてから神社に雑草ひとつない美しい境内になりました。

秋の交通安全週間ですな

ながら運転(スマホなど)の取り締まりみたいで、スマホ片手に通話している人が検挙されていました

昨日の夜は久しぶりに飲みました。でも・・・ほんの50ccほどでそれ以上飲めずでした。結局仕事中もオフの時も80年代前後の歌聞いたりの日々。先日「消えゆくワード」ってなことメディアが取り上げていました。現在使わなくなった言葉っていろいろあるんだなあ~と思っていました。で、先日コンビニで得意先に会いましてお寺の役もらったなんて話していました。お布施して下さった方の名書くのどうしている?と聞かれ悪筆の私が書ける訳ないじゃないですかと話し、嫁に頼み込んでパソで打ち込んでっと話したら得意さん「ナウいやんけ」と言われました。あまりのもの懐かしいワードに吹き出してしまいました。なるほど私、古い話・・・好きだけど古い言葉使いは使わないですよ。

宣伝

宣伝方法もいろいろとありますね

観光協会さんからいろいろな宣伝方法について案内頂きました。とにかくコロナ禍(緊急事態宣言)の関係で店自体休んでいるのでなんとなく気が抜けた感じがします。10人くらいしか入れない小さな店なのでこのまま「口こみ」でやって行くことにしました

あほなこと連発

好天ですな

こうした空など見上げると昔なら山下さんの「高気圧ガール」ってな歌を口ずさんでいましたが・・・今は

高血圧ガール・・・

コンビニなどではいろんな張り紙がなされていますね

これだけ張られているとなんだか「細胞はあります!」と言っていた人思い出します

看板、「広告募集」の看板のみってのもなあ~

飛び出し注意を喚起するこうしたの、こんな感じの実物が真夜中に飛び出てきたら怖いです

このテナント募集の物件ですが、平成時代はなんやかんやと入っておられましたが令和になってまだみたいです

鮎関係の施設の後に出来る明太関係の施設、12月オープンらしいので行ってみたいです。

オープンするお店、閉店したお店など仕事上いろいろ見て来ました。不安からかこの閉店した店の仲間入りするのではと妙な恐怖感にかられたりします。「で~んと構えろよ!」とは言われますが、元々卸などで出て行き伺った先で買って頂くスタイルだっただけに「待つ身の」しんどさ・・・まだまだ慣れていないのでついストレスもたまってしまいがちです・・・

リズム戻せるかなあ~

昨年おでん屋始めて生活リズム、夜12時頃に就寝し朝7時半頃に起床していたのが1ケ月近くも休業しているうちに卸売を30年以上やってきたその生活リズムに戻ってしまい、朝は5時頃には起きるわ夜は10時頃には眠くて仕方なくなるわで10月からの再開、はやくおでん屋生活へとちょい焦っています

目が覚めてしまったのが4時半。これと言ってする事ないので切らせた洗剤でも買おうとちょい朝のドライブがてら出掛けてみました

少しづつですが明るくなるのが遅くなりつつあるように感じます。

このあたり、卸売始めた20歳代の若かりし頃各保育園に納品したりしました。N清紡さんにはことのほかお世話になり、食堂責任者のKさんにはかわいがってもらいました。その後その方が近所だと分ってびっくりしたことがあります。こうしたご近所でびっくりし思い出というと

この近くに住んでいたH村さんという可愛い女の子がいてその彼「むねさん」と当時交際中だった家内とで食べに行ったりカラオケしたりしていました。当時「俺・・・躰光寺に婿に行くんやわ~」と言ったら彼女、「旧?」と聞くのでそうだと答えたら「旧の在所なんて住むと苦労がたえへんで~!」とアドバイスくれたことがあったんです。さんざん田舎の事言っておきながら自分もその言っていた躰光寺の田舎の在所のど真ん中に夫婦して引っ越し・・・目が点になりました

この道路が開通して以前のくねくねした道を通らなくなりました。

もう40年以上前ですが下校時、たまに学校から駅に向かって歩いたことがありました。当時はもう少し商店街にも活気があったように思います。

衣類洗剤買うために・・・暇な男やなあ~

ここから見る景色。「能登川に帰ってきた・・・」と言った実感がわきます。彦根にいた頃は国道8号線佐和山トンネル抜けて彦根の町を見たとき彦根に帰ってきたと言う実感がわいたりしました。童謡に「故郷(ふるさと)」というのがありますが、さすがあの風景、景色は現在想像する方は少ないと思います。卸し始めた頃得意先の老人ホームでよくこの歌を皆さんが合唱されていました。時代と共に少し上の先輩方が施設に入る頃は加山雄三さんやグループサウンズ、私たちの頃はサザンとか永ちゃんとかになるのかなあ~

寺のことで

今日はお寺関係のことで役員(3役)している上席の「ゆた~さん」と行動を共にしていました

お寺に向かう途中の風景、稲刈りもほとんど終えられた農家の皆さん方のひと段落感と来たる報恩講に向けた「秋のお寺参り感」が漂っていました

本堂には

先日来るかも知れなかった台風に向けた板張りなどが施されていていました。

8時からの奉仕作業に合わせゆた~さんが門徒の皆さんに挨拶されています

各班ごとに分担しての清掃作業です

脚立に上っての作業なされているのは門徒最高齢(と・・・思う)「I朗」さん

お寺の裏にこうした伐採した小枝など廃棄し9時半頃には終了しました。その後役員の我々ふたりと住職夫婦で報恩講さんの打合せして帰宅しました。

その後着替えてふたりで今度は他のお寺への

報恩講への協力呼びかけ、他所寺費徴収及び他所とりまとめして下さる方への配りもの配布などしました。こうして浄土真宗関係であちらこちら行ったのは平成25年、神崎組仏教壮年会連盟の時にあちらこちら伺って以来です。こうして10月2日~3日の報恩講さんの準備していた今日でした。

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