2021年4月
ハローの取付
5月2日に合わせ代掻き用の機械を取付けました
普通のを外し
ロックを解除してハローを取付けます。電車でGoの連結シーンのようです
幅、1メートル66㎝のから2メートル26㎝のに切り替えです
さすがその差60㎝は中々差を感じます。こうして昼のひととき、来たるべく代掻きにあわせたりでした
半農半商のGW突入
昨年はおでんの美湖母湖まだしていなかったです。今年のGWはコロナ関係であまり集客見込めないですが、さりとてずっと休みっ放しというわけにも行かないです
お客さんが「懐かしいだろう~」と差し入れて下さったのですが、S35~6年生まれの私たち、実は「当たりまえだの・・・」のCM、微妙に知らない世代なんです。私たちの世代はデュークエイセスとダークダックスの見分け付かないですし、S45~6年生まれの方はオフコースとチューリップの見分け付かなかったりで、世代によって「受ける」内容が違ったりしますね
営農さんも活躍しておられる農作業
すでに早生(わせ)種の田植えされておられたりします
んで私は昼からハローの取付・・・2年ぶりと言うことなんですが・・・恥ずかしながら忘れてしまってます・・・
春雨煙る
古い言い方ですがこの時期に合うと思います
昨日の小さなバイク、ホンダ・モンキーでした。そのバイクが飾られているのは彦根市内にある「サンチョ」というお店です。入ると昭和感あふれる雰囲気で、ピンクの公衆電話などが妙に嬉しいです。ちなみに昨日の農機具はハローと言う代掻きに使う道具でハローとモンキー、3人組の旧西ドイツの歌い手さん「アラベスク」のハローミスターモンキーでした・・しょうむないと怒らないでね
昨日は雨の中でも熱心に田んぼを見て回られる方がおられました
お義父さんも頑張って下さっています。でも水入れてのこの作業、今日の予定だったような気が・・
この時期の芹側沿いの風景、好きです
先ほどのお店もそうですが、今もある町中の喫茶店。2日ほど前NHKに石川ひとみさんが出ておられました。私は「夕暮れの街角のぞいた喫茶店・・・」ってなフレーズで当時を思い出したりしました。
昨日は自動車ディーラーさんのお休みの日でした。かつてはこのお店で購入から車検等整備などお願いしていました。営業の方、知識はあまりなかったですが親切ですし、価格も手ごろで安心できました。ただ平成後半生まれの人など勉強不足甚だしく、このお店ではないですが、他メーカーがオールアルミエンジンと言っても「なにそれ?」でしたし、アトレーがミッドシップと言ってもまるで「この人アトレーをスポーツカーと間違えてる」と思っていたり、果てはかつてお宅に4気筒DOHCターボの軽があったと言ったら3気筒は知っているが4気筒なんて作るはずない・・・最初は新人だからと笑っていたがだんだん怖くなって今は別の所から購入したり整備を頼んだりしています。
かつて電電公社と言われていた時からあるこの建物、その道路挟んだ前には
郵便局、NTTさんの2階の食堂には食材納品でお世話になったこともあるし、この郵便局では設備屋に在籍していた当時地下にあるトイレの改修工事に入ったことがありました。当時のトイレの配管は鋳鉄管で特に官公庁関係の建物は100年持つようにとの考えからでしたが塩ビ管への切り替え許可出た昭和50年代から徐々に切り替え工事が始まりました。でもね、塩ビパイプはふたつあってVPとVU、給水用と排水用では肉厚が違い排水用は肉厚薄いVUで充分だが局の方からVPにて願う・・・この時点でもまだ100年持つようにとの考えだったみたいです。当時の担当の方、郵便局は民間じゃないから全て長持ちさせるものをとの事でした。時は1984年、その20年ほど後、民営化になった事を当時の方(当時で50歳くらいなので今90歳くらい)・・・どう思っておられるのかなあ~
そのふたつの建物近くにあった食堂が新しくなりオープンしました。昔の食堂だった当時「おけさん」「じゃんさん」「かどん」「吉幾三さん風の方」も利用していたのかなあ~
この交差点、昭和時代は狭かったです。この付近に「いつものところ」という名の喫茶店がありました。爺じいになると記憶が曖昧になり喫茶って言うと先ほどの石川ひとみさんもそうですし柏原芳恵さんの「ハロー・グッバイ」など思い出すんですがパープルシャドーとガロが混同してしまって・・・初めて君を見たのはスナックだったっけ?訳もなくお茶を飲み話したのはガロの歌だっけ?・・このあたりは昭和33年前後生まれの方の方が詳しいのでは・・
テイクアウトのお弁当屋さんに昭和56~7年頃「〇〇はち」と言う中学校の頃の友人がアルバイトしていて深夜バイクで鮭弁当買いに行ったらむちゃくちゃ大盛りにしてくれたのは嬉しかったのだがものには限度があるのにそれ超えてのてんこ盛り、容器のパック、ふた出来ず持って帰れる相場でなくなり仕方なく建物の横でしゃがんで食べてたら隣接する麻雀店から出てきた弁当屋のオーナーさん、物乞いに〇〇はちが恵んだと勘違いし「良かったらこれも食べなさい」・・・又ライス大盛りの鮭弁当。〇〇はち~っ加減っちゅうもんしらんのかよ~
この近くに住んでいた友人「ぼんち」、40年ぶりに会えると思っていましたがコロナの関係でいつの日になることやら。でもこうした高校の友人の名を聞くだけで当時のことを思い出してしまいます
連想・思い出し
懐かしい高校の友人と出会ってから、うろうろしていても懐かしいこと連想したり、思い出したりの春です
もうすぐ活用する予定のこの機械見つつ
とある方の所に飾ってあるこのバイク見ていると40年前流行った3人組の海外の歌い手さんのヒット曲を思い出します・・・分る?
ちなみにこんなレトロなバイクを所有しておられる方もいますんですよ。又、40年ほど前などもてない私なんぞ彼女がほしくて仕方なかった時期がありました。友人の彼女に紹介された女性、もの凄く清楚な方でしたが
こんなんと釣り合うはずないやないの・・・
これに至っては怪しげなブローカー・・・こんなのでも付き合って下さったのには感謝申し上げる次第でございます(笑)。で、彼女の友人達はあんなんと付き合っていてはろくな事ないと言ってるし自分自身もそう思っていたので振られるショックも怖いからよそよそしく距離を取っていたんです。みんなで飲んでいたとき(今なら合コンですな)1人いろんな歌歌ったりしていたんですがみんなはフォーク系歌うし女性の好みそうなの歌うが私なんぞレパートリーたかが知れてる・・まして当時のカラオケって知れてる選曲。友人にギターしているあきちゃん・・・
彼がギター弾くからと歌ったのが
これ・・・完全に浮いていたなあ~で、その後私のふるさとへ遊びに来ない?と言われてのこのこ行ったら両親に会ってくれ・・・いやいや・・・慌てました。後日あきちゃんに「君さ~あんな歌彼女の前で歌ったらそうなるよ」と言われあまり歌詞を考えずに歌ったからだと言われた事がありました。今やYouTubeで昔の曲なども聴けるので妙に懐かしく聞いたりしています
いろんな事思う
こうした定休日、のんびりさせて頂いていますがほんとに何もしないってな訳には行かないです。でもとにかく疲れやすくなったので今日など大半ごろごろしていました
うちの近所での電気工事の様子。この会社じゃなくほんとの電力会社に勤めていた友人、昨年から「転籍(この言い方みんな好んで使ってるなあ~)」して今現在大阪にいるとのこと。いよいよ私の友人達みんな定年など迎える時期なんだなあ~
工場の煙突の煙もまっすぐ・・・
うちの田んぼも水を入れ始めました。この手の作業、おおよそ2年ぶりです。今年は店ももう少し賑やかになろうかと思っていましたが中々そうも行かないので体と相談し、1枚(33a)とはいえゆっくりとやってみようかと思っています。
美湖母湖定休日は早く
美湖母湖の定休日、つい早く起きてしまう老人寬珍です
昨日も好天で農業関係、Hむさんも「気張って」おられました。情けないことに私、病気の関係でトラクター作業も含めじっと3時間以上座っていられないんです。湖西方面への配達も家内に運転してもらい足をさすったり・・・
土地改良と言う言葉があり、その事業の一環として田んぼに「手軽に」水を入れられるシステムがあるんです。まるで水道の蛇口ひねるように開けたらこうして水がでて田んぼに行き渡るようになります
帰宅したらお義父さん、このような作業表作っておられました。これに従うと今月末入れた水、行き渡ったらトラクターでかき混ぜるような作業ってなあんばいになります
これは除草剤。お茶パックというかだしパックのような袋に入った薬剤、それを田植えの後にぽいっと放り投げるように撒きます。
こうした公衆電話、80年代を思い出し懐かしいです。
平成時代まであった彦根の県立高校、数多くの友人がここに通っていました。同級生同士での結婚も多く、私の知る範囲でも6組ほどいます。学校の運営というか方針は私の通っていた学校や他の学校とちょい違ったようにも思います。隣の国の高校と交流を持とうとしたり、又先生方があまり異動されないいわゆる「組合」の強い学校だったようにも思います。この学校のOBの親友「がっさん」はよくこの学校には可愛い人、きれいな人が多いと自慢していたが私は自分の通っていた学校の方が多かったようにも思えます。
概念が・・・
月曜、若い頃から「さあ~っ!やるぞ!」っなんて気がしないなまくら寬珍です。この土日、町内のことや農事のことなどで頑張ったりしていました。で、私・・・薬の関係で
見にくいかも知れませんが、そこらでぽんっ!とあたったりするだけで内出血。この間も腕で内出血したものだからまるで「変なこと」している人のようにも思えたり・・・血液、サラサラすぎるとこうなるんです
今回の入院で今までの概念が大きく変わったことがいくつもありました。そのうちのひとつが保険でして、37年かけ続けていざこうした事態に対応してもらいたく連絡を取り、いろんな給付をと申出たら一部について出来ませんとのこと。でも契約書には記されているのでと話すと「じゃ、センター(そういった事する部門らしい)に必要書類送って下さい、でも給付されるとは限りませんよ」と言われるのでそのセンターに直接問い合わせたらご契約に記されているとおり振込手続きに入るとのこと。振り込んで貰えるよと彼女に伝えたら、その「事案」、私は知らない・・・30年以上のベテラン・・・ましてや日本最大の会社・・・ほんとかよと思いました。その後彼女に「何故にあのとき調べもしないで給付出来るとは限らないと言ったのか?」と聞いたときの答え「私・・・そんな事言いました?」この時点で残りの契約日数が満期になったら知り合いに乗り換える決意をしました。でも彼女、頼られていると勘違いし「感謝」とタオル持ってこられました
墓地清掃
今日は町の墓地の清掃日で当番が当たっている組と言うこともあり朝作業に出かけてきました
こうした作業は年一度あります。みなさん頑張っておられます
私も草刈り等頑張りました
そうしなければならないという決まりはないですが、私の宗旨「浄土真宗」ではこの「南無阿弥陀仏」か
倶会一處(処と言う字もある)・・・「くえいっしょ」とか書かれたりします。最近はこの文字は少数派になりつつあります。又、先祖代々・・・とか〇〇家の・・・とか様々になりました
作業も一段落しなにやら楽しげにお話しされている方々。
1時間足らずで作業も終わり帰路につく皆さん。こうしてGW前の段取りも徐々に終了に向かいます。このGW、本来なら
お店も皆さんに「千客万来」を願いたいのですがそうも行かず、さりとて閑散としているお店を「これでも仕方ない」と嘆いていても悲しいですし、前向きに「どうぞご来店下さい」と商売なのにおおっぴらに言えないのも悔しい限りです
んで肥料撒き
8時から麦の肥料撒きをみんなで行なうので(集団転作)一員として出役しました
前回同様皆さんが集まられるときの様子
このようなミスト機(噴霧器)で肥料を飛ばします
ミスト機も漢字で表現したりすると何だか中国語っぽく感じます
撒く肥料は窒素です。このような白色でビーズっぽいです
元々の機械の重量に合わせて肥料1袋(20Kg)を入れての移動はちょいしんどいものがあります
要領良くされる皆さん。
ミスト機からはこのように飛び出しています
9時半頃には作業も終わり皆さん作業倉庫に戻られこのようにお茶、パックの飲み物、パンを受け取って帰宅されました。帰宅したら10時過ぎ、昼からでもおでんの仕込みしよっと・・・
出役前のモノローグ
今日は麦の肥料撒きの日っす。その朝の独り言っす
家の近くの小さな公園で幼稚園児達が遊んでいました。かけっこなどして遊んでいたのですが「レディ・・・ゴー」・・・・よういドンじゃないんですね
札幌の叔父から手紙が来ました。これはそれと同じ封筒をイメージとして写したものです。手紙で最近気づいたのはスピードワゴンというアメリカのグループが歌う「インユアレタ-」という歌、若い頃特にメロディが好きで良く聞いていました。彼女なんて出来なかった私はこのメロディ、彼女が出来たら車で聞きながらと思っていたんですが今、日本語訳みると手紙に恨みつらみを・・・ってな内容・・・当時彼女と実現しなかって良かった~
出役依頼の内容、ぼかして写しました。こうして麦に関して秋までちょくちょく続きます。私も体力持つ限り頑張りたいと思います。ほんと情けなくなるくらい体力が落ち回復するまでのリハビリカリキュラム、この6月に組んでもらう予定です