2021年1月

平凡な日曜で気が楽

近所の住宅開発、1月の最終日で日曜の今日も工事関係の方々は頑張っておられます

何かと現場仕事は寒さ暑さが堪えます。こうした現場での仕事されている方もうちの店に良く来られるのですが、仮設の事務所で休憩するとき、昔と違って事務所内でたばこ吸えないのが辛いってなこと言っておられました。ふと「この話UPしたら又たばこネタだな・・」と思われやしないかと想像しながらの平凡な投稿です

何気なく見ると

ほんの一部ですが食材卸していてその道中や得意先で見かけたもので気になったりしたものをつぶやかせて(?)頂きます

こうした昭和感あるたばこ屋さんも少なくなりましたね・・・私はたばこやめてから2年ほど経ちますが喫煙していた当時など体からたばこの匂いがしみ出るほどのヘビースモーカーでした。私はやめて一年後くらいに心筋梗塞で病院送りになりましたが看護師さんから「やめていたからよかったものの今も喫煙していたら・・・」と言われました。たばこは血管に悪いと心底から思いました。

いろんなお店のバックドアでよく見かけるのがこの「十五分湯(じゅうごふんたん)」です。この冷凍のチキンのがら、とにかく便利だそうで、今まで大きな寸胴に鶏のガラなどを入れて数時間とろとろとエキスを抽出していたのがこれを使うことで最短なら15分でおいしい鶏がらが出来ると言うあんばいなんです。それにより寸胴に入れての手間や時間の大幅な短縮等を実現したという意味でサブタイトルが「寸胴革命」と謳っているんです。ほんとこれ使うお店が増えました。さぞ得意先もこういったので効率化計っているのかと聞いたらコロナ渦で客足が伸びず、通常は一度に40~50リットル作るがらだし、今は10~15リットルくらいしか作らないのでそのためにがらを1箱(約10Kg入)買ってと言うのも非効率だからとこの品に切り替えられたそうなんです。いろんな意味で今回のコロナは影響が多岐にわたり出ているなあと感じました 

今日、木曜は営業です

この二日間どら焼きの製造やスモークチキンの燻しなどで連休させて頂きました。今日、開店までにあちらこちらへ仕入、備品購入に出かけたときの独り言です。つきあって下さい

ちょいコーヒー飲んでの一休みなんですが、コーヒー、スーパーに売っている簡単なインスタントのドリップ式で入れるのですが

味付海苔とよく間違えて取り出しそうになってしまったりします・・・てなわけないか~

こうした車を「軽バン」と呼んでいますね。この「バン」という言葉なんですが、屋根付貨物車のことを言いまして、屋根の付いていない軽なら軽トラと言う事になります。昔ほら吹きの面白いのがいまして「バンっちゅうのは後ろの扉を閉めるとき商用車は作りが安物やさかいにバンッ!と音がするからや」と吹いてた人がいました

出かけるその目的はこの「パングリス購入」なんです。これはどら焼きを焼くとき天板に塗るオイルなんですが、どら焼き製造の時とても重宝するオイルなんです。大判焼きの方々が使っておられる固形もありますが、私はこれがイチオシです

購入先は彦根市内にある

一刀軒さん。このお店は古くからやっておられ、元々和菓子の木型を彫刻刀などで彫っておられた事からこの名が付いています。祖父が饅頭屋(彦根市内中央町、旧一番町で橋本屋という饅頭屋を営んでいた)していた戦前からあったと聞いています。どら焼きの機械などほんとお世話になっています

ちなみにその横にある電気屋さんも昔からやっておられ、夏祭りなどここの初代の方が手品を披露されていました。

帰りは配達等もあり国道から帰ってきました。この国道簗瀬の交差点進行方向から右へ愛知川を下流に向かって曲がったところに

飲食店などもあったりなんですが、ずいぶん昔、近所の「ま~さん(山本譲二さん風)」と「ひでさん(石橋蓮司さん風)」が能登川駅近くで飲んでおられ、」もういっけん行こうと言う事になり、それならばとま~さんが「家にお金を取りに帰る」と言い、自転車で行かれたそうなんですが家と真逆のここら辺で「おかしいなあ~わしの家・・どこに行ってもたんやろ?」と困っていたところに通りすがりの人が声をかけられなんと親切に家まで送って下さったそうで、待ちぼうけのひでさん「家までどんなけ(時間が)かかるんや?」とご立腹だったそうです。んで、合流したが今度は「自転車どこ行った?」・・・お店していると昭和の時代の面白い話を聞いたり出来て楽しいです

明日も休ませて頂きます

どら焼きとスモークチキンの製造が追いつかず加えて卸の方もちょい忙しい関係で申し訳ないですが明日もおでん屋・・休ませて頂きます

少ない注文で・・・ってなことUPしていたらまとまって注文が来ました。

彦根市内西今付近を通りつつふと昔この近くにお弁当屋さんがあったなあ~と思い出しました。昭和60年代から平成1桁あたりにまるでブームのようにお弁当屋さんがあちらこちらにあり、昼時などあちらこちらのお弁当屋さんの配達の車が走っていましたし、このお弁当差やさん、彦根市内でも6つほどありました。今やほとんどが廃業等されました。当時良く納品させて頂いていたりで、古き良き時代のお弁当屋さんの頃を思い出しました

この建物がかつての「だるまや」さんだと記憶にある方はまさに昭和の人でしょうね。ここの天丼がおいしくよくN山君と食べに行っていました。

新聞屋さん、そして右側が木工関係のお店。帰宅時、このあたりまで車を走らせると帰ってきたなあ~と感じます。令和になってそう感じるだけかも知れないですが、道路に吸い殻、ずいぶん少なくなったように思います。友人知人でもたばこやめられた方多いですし、かくいう私もそのうちの一人なんです。ずいぶん前まだ小学生くらいだった子供に若い頃の私の旅行行ったときの写真見てびっくりしたんです

40年以上前の写真なんですが子供が二言三言・・・「お父さん・・髪ある・・・」「細い」・・・そしてそれ以上に「電車でたばこ吸ってる!」と怒るんです。旧国鉄時代には吸えたんだよ!と言ったがとにかくとんでもないところでの喫煙がかなり衝撃的だったそうです。考えてみりゃ現在吸うところ・・・ほとんどないもんなあ~


休み前・・・一息

明日26日はおでん屋・・お休みさせて頂きます

営業終えて帰宅したら10時過ぎ。この手のお店としては早い帰宅です。

車に積んだ店で使った器具等、今から洗浄が待っています

店用と自宅用の炊飯器、当初は「どれだけ出るのかな~」などと思っていましたが予想より出ないので当初1回に8合ほど炊いていましたが今は3合ほどでも残る始末です・・・情けないなあ~

とある学校で月末に「すいとん」このすいとんの歴史は古く室町時代からある料理で、学校では何らかの学習で出されるのかなと思っています。こうした卸、今も細々とやっていますがたまに特殊なのを注文下さいます。給食に地元滋賀の「鮒ずし」がでたことがあります(他業者さんが納品された)が恐ろしいくらいの廃棄だったそうです。学校の子供達も面白いこと言いまして先生が皆さんの住んでいるところならではのをい言ってみましょうと問いかけたら「家の近くにあるマクドナルド」と答えたそうです・・・・

自治会の選挙

今日は私の住む町の自治会長(ところによっては町内会長という町もありますね)を決める選挙がありました

いつもは東近江市役所能登川支所近くの「やわらぎホール」にて行なわれるのですが、今回は初の「コミュニティセンター」にての開催になりました

入館してまず行なったのは手のアルコール消毒と検温、そして会場に入って資料等を受け取りました

初と言うこともあり、何だか違う自治会にお邪魔したような雰囲気でした。

立会人のもと開封の様子。こうして自治会のリーダーやお宮さんの役などが決りました。彦根のとある町で町内会長が決ったら憤慨して帰宅し、数ヶ月間「おこもりさん」し、引き継ぎたい会長さんが頼みに行かれ、中々出て下さらないので裏からそろ~っと「〇〇さん・・・」と声かけたらなんとその方、はちまき巻いて鬼のつのみたいに包丁はさんで念仏唱えておられ、その異様さに町内会長、仕方なくもう一年されたそうです。候補に挙がりそうだからとお引っ越ししたされる方がおられるくらいこうした役は大変なんです。

いろんな言葉

店、このお店が出来たとき税務課とでも言いましょうか「物が実際通りに建っているか」を見に来られた担当の方、図面で言うところのトイレの面積が記載されていないと見に来られたんです。いわゆる地面の上に建てられた建物の場合固定資産にもかかわるからとのことなんです

見に来られた担当の方、トイレはこれですねと近づいてよく見てため息・・・

宙に浮いてるので建坪面積に入らないが・・どうしたものかと悩んでおられました。面積ったってしれてるしと言うことでただの「出窓」扱いになりました。そんなことでの打ち合わせしつつオープンして4ケ月ほどになりますが、いろんな方に来て頂きうれしいです

お客さんがされる会話の中には懐かしい言葉なども聞いたりします。先日も「あんまり飲み過ぎたらぎょ~が出る」と言われたので幼い頃母に車に乗るとき食べ過ぎたらぎょ~が出ると言われたのを思い出し妙に懐かしかったりしました。長浜東部の方が来られ会話の中で「ごんしゃった」と聞いて私の親戚、身内(祖父は八条出身でいとこは鳥羽上)が使っていたなあ~と懐かしくなったり、驚いたのは近所のK氏が帰るとき「さあ~げこしょうか」と言われたの聞いてこれもびっくりしたりしました。方言とでも言いましょうか楽しくこうしたワードに反応している寬珍です

元々の名・・・・小字

よく住宅開発地で現地案内の時新しい名にて紹介されることが多いですね

うちの近所でも現地案内・説明会のような物が催されています。で、開発地の名ですが、それこそ桜が丘とかプラムタウンなど名称が付けられたりしますね。知り合いで開発されて困っていた方がいて、その方何を思ったのかこうした説明会催される近くに自分の敷地内に看板立てたんです。書いてあることが面白く「六尺沼(実際はちょい違う言い方)」と書いて、説明に「平成6年までここは六尺沼と言われる沼地で六尺(180㎝)の大男までもが沈むとんでもない沼地で、明治の地震の時この近くにあったお堂が沈んでしまった・・・」と書いたんです。見に来られた方・・・「地震になると液状化・・・」中々買い手が付かなかったと聞きます

好天

まるで「春近し」と勘違いするほどの好天です

楡(にれ)町。この字、最初読めなかったです。高校の頃、この付近から通っている同級生でニックネーム「おじぃ」がいたのですが熱心なクリスチャンで登校時、聖書を電車に忘れてなんと西明石まで取りに行ったと言うくらいの熱心さでした。「そんなん買えば?」と聞いたんですが彼、魂が宿るようなこと言うのでみんな目を丸くしたことを思い出しました

この近くに仕事で10年ほど前までお世話になった方がおられ、当時仕出し食材を分けてもらったりしていました。市場系のお店で市場の業界用語など教えてもらったりもしました。そのひとつが「もりをする」と言う言い方で、得意先を守って行くってな意味合いでしたが、考えてみりゃ卸す業者が少なかった「古き良き時代」の言い方だったんでしょうね

能登川にあるこうしたお店、若い方々やご家族に人気です。お酒の出る量も多く、多分ですが本部から格安でまわってくる(運ばれてくる)んだろうなあ~と思っています。某ビールメーカーさんに通常50~70席ほどの店舗さんだと一日1Kリットル(1000リッター)は出るし、都心部だと1日3キロ~4キロリットル、すなわち月間100キロ出ると聞き驚きましたが、その1日1キロ出す店でも500人/日の来客があっても一人2リッターも飲めるもんなのかなあと彼の言うことにちょい疑問を感じたりしたことがありました。よく「話を盛る」人っていますが素人でも分るような盛り方したら単なる「ほら吹き」になると思うよと彼に注意したことがありました。その話しもあって今の店のビールの銘柄はその「ほら吹き」の担当のメーカー以外からにしました

その続き

私にとっての懐かしい母校の続きで彦根の旧市街ををぐるっとまわった様子です

中央公園の隣にあるのは「金亀会館」です。昭和40年代だったかなあ~中国との国交が回復していたかも定かでないときここで「中国物産展」が開かれ竹で出来た小物入れや木彫りで斜め45度上を見上げた少女の置物などが売られていたのを思い出しました。

 

S田氏のお店と家。お店を立ち上げられたときイタリア、サンマルツァーノ産のホールトマトの缶詰を納めさせて頂いたことがあります。今もCB750Fを大切に乗っておられるかなあ~

昔の名で言う「東新町」・・・学校帰りにはいろんなお店があり見ているだけでも楽しかったです

お得意先へ納品

ここらは旧「水流(みずながれ)町」。今の白線部分が川でした。又、この近くにたこ焼き屋さんがあり、たしか3つで10円だったと覚えています。4年生の頃買いに行ったら6年生がその後大勢来て私の順番など無視して「おっちゃん!焼いて」と頼むのです。逆らえなかったのでひたすら彼らが立ち去るのを待ってたこ焼き頼んだらたくさんただで下さって泣けるほど嬉しかった事がありました。大将曰く「おまはん(あなた)が先や!と言うのも良かったがその場で6年生に睨まれながら食べるのも辛いやろうからおっちゃん何も言うたげなかった」とのこと。そういった親切さも含め今もかけて下さった思いやりは忘れないです

この鉄塔というか建物は昔の電電公社。NTTの時もしばらくは人がおられました。この建物の2階に食堂があり実家から近いこともあり食材を良く納品させて頂いていました。こうした通信機器大手に勤めている、もしくは勤めておられた方を7~8人ばかり存じてますが口をそろえて「電電公社・・・良い時代やったわ」と言われます

この交差点付近から城東学区でなく城西学区に入ります。城西小学校・・・そういや友人「やん」もその学校出身なんだよなあ~

夢京橋の通りをちょいと横に曲がると本町。

 

このお店もずいぶん前からやっておられます。よく友人「おくやん」とハンバーグやエビフライ食べたりしました。

この近くに友人「も~ちゃん」の実家がありました。彼の実家は散髪屋さんで、高校の頃髪をぴしっと決めてやれと彼のお父さんに頼んでパンチパーマにしてもらいました。ついでに私の気にしていたゲジゲジ眉毛を全部剃ったらえらい怖い顔に仕上がってしまいました。めがねも少し色がつていたのでみんなから「志賀勝」と言われたときもありました。その後普通の髪に戻しましたが変化と言えば友人「はっちん」、高校1年の時はリーゼントで3年生あたりではサーファーと言うこともありマシュマロカット風・・・いまのタレントさんで言うと「日村勇紀さん」のような感じになっていました。友人やんはさらさらのきれいな髪でした。最近会うと同じ髪でも「寂し~なって来てなあ~」の話ばかり。3人で例のひよこは生まれたときからの・・やってみようかなあ~ちなみに近所のかたもされていますが効果はあまり・・との事でした

滋賀大学経済学部。映画「偉大なるしゅららぼん」の学校でのロケにも使われたお堀などです。

このまままっすぐ行きベイシアで買い物。そのベイシアの場所にはかつて大きな繊維工場がありました。その繊維工場の給食物資を納品させてもらったりしていました。当時いわゆる炊事などされるスタッフさん、交代でされていたのか17歳前後の女性が頑張っておられたと思います。自分が17歳の頃など先ほどの話のような髪型気にしたり遊んでばかりいたのにと思うと当時23~24歳くらいの私。もっと真剣に仕事に取り組まねばと決意しました。でもその数年後、サラリーマンとして真剣に取り組むことせず自営業として取り組むことになろうとは当時の私・・・夢にも思いませんでした

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