美湖母湖

びこぼこぶろぐ

昨日も彦根

昨日も彦根に行くことがありました。

稲枝地区でこのほどオープンされる予定のうなぎ屋さん、コンビニのあとの改装も本格的です

彦根市の商工会議所屋上駐車場から見た私の母校「彦根市立城東小学校」。通っていたのももう50年前なんだよなあ~

写真から右を見ると道場。私は習い事していて毎週水曜、日曜通っていました。友人は柔道習っていましたが柔道の練習日がアニメ「タイガーマスク」の放映日(毎週木曜放映)と重なったとそれだけでやめてしまったり、当時アニメの影響が大きかった時代でもありました

お昼は「やよい軒」で済ませました。このお店もロボットが運んできます。こうして人の仕事に変って機械がするようになるんですね。昔お商売で成功なされた方とお話する事があったのですがその方は人格者でもあり人望もある方で、その方が言うには人に働いてもらうとき人を「人的資産」として信頼関係を築く会社か単なる「人件費」と言うコストとしてしか見ない会社かで将来的に業績の差がトリプルスコアー(3倍)出ると話しておられたのを思いだしました。もちろんこの店が悪いとかではないです

この道、左側は私の通っていた彦根市立東中学があり、右側にはかつて県内屈指の雑貨問屋がありました。

その東中学、昭和51年頃まではこの建物のあたりにありました。その後近江鉄道の本社になり今は高校の施設になっています

その施設の先には佐和山小学校があります。この学校の区域って面白く旭の森小学校のほうが近くても佐和山に通っているかと思えば

この学校の前の道渡ったところに住む学童は城東小学校に通うなど妙な学区編成でした。学区編成で言いますと東近江市能登川地区の小学校も学区が再編成されるなどいろいろとありそうです

家に帰ってポケ~ッと見てたお米の乾燥機。もうすぐ人に譲渡します。婿に来たとき乾燥機のことで単位聞いて「うちは24石やし・・・」と言われ百姓って未だに石高という言葉使ってるのかと驚いたことがありました。又、人の田を借りて稲作したとき借地料のかわりにお米を渡すのですがこうしたのを「年貢」とか・・・百姓用語・・明治以前から変わっていない事に驚いてばかりでした

タイトル :
名前 : URL :

トラックバックURL