春らしい気温と天候ですね
彦根「いろは松」の菰(こも)もそろそろ外される事と思います。この付近に住んでいた私はこうした「菰外し」の頃に春を感じたりしていました
久しぶりに彦根市内「旧七十人町(ひちじゅうにんまち)」を通ってみました。この町の特長は下の絵の通りで道が左右に分かれていることです。この写真は①の写真です
昔下級武士が住んでいた町で推測ですが70世帯の武士が住んでいたのではなかろうかと思います
小学校の頃は広く感じたこの道、今は軽バンでもぎりぎりです。この町には「たなやん」「岩っち」など友達がいました。ちなみにこの写真は②です
つきあたりに様子。駐車場になっていたり空き地が目立ちます。この界隈には畳屋さん、刃物屋さん、町のお医者(外科)さん、大衆食堂、銭湯など下町そのものの「息づかい」がありました
この写真は③で同じような並びが故に友達など家が見つからないからと泣き出したと聞いています。
春先から景気も良くなるだろうか・・募集の張り紙をあちらこちらで見かけるようになりました。
こうしたチェーン展開する酒屋さんも活発に動き始められました。最初このお店の能登川店に頼みました。その店の紹介でとあるビールメーカーさんに来てもらいました。売っていただけるものとばかり思っていたら「1ケ月1キロリットル出ない店には遠慮させていただく」と断られましたのでショックでした。このお店のせいではないが他のお酒を購入し辛くなりそれじゃ元々知っている間柄の彦根の「ひのやさん」に来てもらうことにしました。最初からすれば良かったのですが能登川に得意先なかったらその為だけに来ていただくのも悪いと思ってなんです。最初思っていたビールメーカーはやめて(だって月間最低1キロリットルなんて無理だもの)現在の「キリン・一番搾り」になった経緯があるんです
前行くトラックは品物を分けて頂いている大変お世話になっている会社です。38年前の夏、彦根にある会社から独立された会社で私は35年前から品物を分けて頂いています。もう10年も経てばその頃の事知る人などいなくなるんだろうなあ~私は後15年程生きられたら商売して50年目記念に本を出そうと思っていますその名も「テリトリーなき戦い」・・・冗談冗談
こうしたところで思いっきり大声出したいです。
話戻しますがこれは旧町名「東新町」・・今もそうだったらごめん・・・誰もこの通りを通らないです。私の小学校の頃の通学路でもありました。当時は下校はどの道通って帰宅しても良かったのでよくこの商店街を通って帰りました。そりゃ賑やかで本屋、花屋、果物屋、八百屋、クリーニング屋、喫茶店、ケーキ屋、饅頭屋、着物屋など数多くのお店と人で楽しかったです。その頃から50年経った現在、これほど人のいない通りになるとは思ってもみませんでした