美湖母湖

びこぼこぶろぐ

懐かしがりつつ・・・

配達などしつつ同友、小・中学校の同級生でもあるまこちゃん店「餃子省」に配達に行ったりしたときの道中での話です

仕入れ先の岐阜の問屋。この会社の本社は岐阜市でもうひとつの仕入れ先の本社は大垣です。共に岐阜県の問屋さんなのですが私の40年の卸関係の経験から「岐阜の業者とは競争するな」と思います。彼らの価格の下げ方はすさまじく、問屋に限らず建設業界でも滋賀には出せない価格で工事を請け負ってくれたりします。で、近江商人の習慣と違うのか私の知る方々、大きな物購入して頂いた後の手紙などの「お礼状」送る感覚のないのも私からは不思議に思ったりします

この近くには「にし」「ふるかっつぁん」などが住んでいました。よくも高校1年の頃自転車でこんなとこまで(遠方)遊びに行ったなあ~

どら焼き関係の器材でお世話になっている「一刀軒」さん近く。このあたりには「あば」「こーりん」「U津」など友人がいました。建具屋の「あば」は腕の良さから引っ張りだこです

ここら辺は東中学と南中学の境目。南の「はせやん」「よっつ」「Kゆき」と東の「つ~ちゃん」「じゃんさん」「げんよう」など道路隔てていろんな友人がいました。

芹川にまで車進める東中は城東学区。それこそ大勢の友がいた地区です。この芹川、私の今住む能登川の近く流れる愛知川に比べると狭い幅ですが私にとっては「故郷の母なる川」的存在です。

まこちゃんの店行くまでのこの通り、小学校の頃は広く感じた道幅でみんなとよくローラースケート出遊んでいました。やれ「東京ボンバーズ」だの「かわいビンゴ」なんて言いつつ頭突きしたりでした。いつも遊ぶメンバーには「ぶんちん」「うみっち」「いまき」「でぶりん」などいて当時のローラーは鉄製で、よく遊んだ後に触って軽いやけどしたりしました

で彼の店

ランチ食べました

飲みは出来ませんでしたがお酒類も充実しています

いつもお思うんですが食事しに寄せてもらうと言うより

昔から遊びに寄せてもらっていたイメージの方が強いです。ここで「カロム」したなあ~まこちゃんとの話でつながり感じたのは同級生「いかっぷ」とこれまた同級生の「しみっち」のお兄さんが夫婦と聞いて驚いたりしましたし、中学生当時寝台列車を写真に収めるのがブームだった頃やれ「あさかぜ」だの「日本海〇〇号」だの夜中に写真撮りに行きその行動が問題になったよなあ~なんて話していました。そんでふと「そういや寿司屋のけんごの趣味やったなあ~どうしてる?」と聞いたら死去したと聞いてびっくりしました。彼はいじめたわけでもないのにすぐに泣く人でした。例えば宿題、みんな出来たのに彼が出来ていなかったりして「しんちゃんまだ出来ていないの?」と普通に聞いただけで泣いたり・・ついたあだ名が「早泣きのしんご」でした。ニックネームなんてのはそんなもんです。そういや私、45年振りに自分で自分のニックネーム「かんみ」と発しましたわ。このニックネームは当時喜劇で藤山寬実さんがおられ、その寬という字が私の寛昌の寬と同じと言うだけでつけられたんです。ほんま成り行きなんてそんなもんです。

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