最近配達で通ることが少なくなった国道307号線、306号線走りつつ思ったりしたことです
甲良町にある学校への納品終えて彦根方面へ307号線走らせると見えてくる多賀、「胡宮神社(このみやじんじゃ)」。サラリーマン時代この神社の駐車場で同僚「きりちゃん」とよくサボっていました
ここに平成半ばまでSL(蒸気機関車)」が静態保存され、たしか「SLパーク」なんて言われていた時代がありました。ここに公衆電話があり昭和時代、ポケットベルがなったら会社に連絡したりしていました。
多賀大社の結婚式場の案内看板。友人はこの式場で結婚式挙げたが離婚し、再婚するとき「神様の前で誓ったがうまくいかなかったので今度はキリストさんの前で・・・」とチャペル結婚式挙げたのを思い出しました。307号線からちょいと寄り道して306号線へ・・・
30年ほど納品などでお世話になっていたこのお店、年齢から廃業されて数年経ちますが思い出多いお店です
ここ・・・昭和時代に喫茶店でして、ちょいHな本なども並べてあったりで見たくって足繁く通ったことがありました
これ、実はセメント工場の引き込み線が多賀の山奥にまであった時代の名残なんです。で、寄り道終えて又307号線へ・・・
この近くに車などの「解体屋」さんがあり、部品など売ってもらったことがありました。
このお店、かなりの前はうどん屋さんでした。その時の店主さんからエビ、豚、油、小麦粉などよく買ってもらってました。
仕入れ先でもあり私達夫婦の仲人さんでもあるこのお店へ各仕入れに
この宅配会社、前は違う会社の営業所でした。私の先輩「Iさん」が当時守山の食品卸売会社におられたとき名刺に「〇〇(その全身の会社名)流通グループ」と誇らしげに書かれてあったりしたのを思い出しました。又、かっこよく見せるのが好きな人でスリーS・・・S林食品食品センターの略だとまるで日産ブルーバード(昭和時代にあった車)みたいなのを印刷したり、フローズンキング、ベストフーズマネジメントなど数々のキャッチフレーズ出しておられたのを思い出しました。で、その流通グループの資本でも入っているかと言えば単にそこの運送会社の斡旋する産直品を販売しているだけだったらしくとにかく当時「大げさなこというの好きだなあ~」と思っていました
かつて畑だった場所近くにまで家が建ち、手押式ポンプ井戸が当時を物語っています。開発と共に思い出や今までしてきた事も消えゆくのかなあ~と思うとちょっぴり寂しくなる寬珍でした