美湖母湖

びこぼこぶろぐ

その続き

私にとっての懐かしい母校の続きで彦根の旧市街ををぐるっとまわった様子です

中央公園の隣にあるのは「金亀会館」です。昭和40年代だったかなあ~中国との国交が回復していたかも定かでないときここで「中国物産展」が開かれ竹で出来た小物入れや木彫りで斜め45度上を見上げた少女の置物などが売られていたのを思い出しました。

 

S田氏のお店と家。お店を立ち上げられたときイタリア、サンマルツァーノ産のホールトマトの缶詰を納めさせて頂いたことがあります。今もCB750Fを大切に乗っておられるかなあ~

昔の名で言う「東新町」・・・学校帰りにはいろんなお店があり見ているだけでも楽しかったです

お得意先へ納品

ここらは旧「水流(みずながれ)町」。今の白線部分が川でした。又、この近くにたこ焼き屋さんがあり、たしか3つで10円だったと覚えています。4年生の頃買いに行ったら6年生がその後大勢来て私の順番など無視して「おっちゃん!焼いて」と頼むのです。逆らえなかったのでひたすら彼らが立ち去るのを待ってたこ焼き頼んだらたくさんただで下さって泣けるほど嬉しかった事がありました。大将曰く「おまはん(あなた)が先や!と言うのも良かったがその場で6年生に睨まれながら食べるのも辛いやろうからおっちゃん何も言うたげなかった」とのこと。そういった親切さも含め今もかけて下さった思いやりは忘れないです

この鉄塔というか建物は昔の電電公社。NTTの時もしばらくは人がおられました。この建物の2階に食堂があり実家から近いこともあり食材を良く納品させて頂いていました。こうした通信機器大手に勤めている、もしくは勤めておられた方を7~8人ばかり存じてますが口をそろえて「電電公社・・・良い時代やったわ」と言われます

この交差点付近から城東学区でなく城西学区に入ります。城西小学校・・・そういや友人「やん」もその学校出身なんだよなあ~

夢京橋の通りをちょいと横に曲がると本町。

 

このお店もずいぶん前からやっておられます。よく友人「おくやん」とハンバーグやエビフライ食べたりしました。

この近くに友人「も~ちゃん」の実家がありました。彼の実家は散髪屋さんで、高校の頃髪をぴしっと決めてやれと彼のお父さんに頼んでパンチパーマにしてもらいました。ついでに私の気にしていたゲジゲジ眉毛を全部剃ったらえらい怖い顔に仕上がってしまいました。めがねも少し色がつていたのでみんなから「志賀勝」と言われたときもありました。その後普通の髪に戻しましたが変化と言えば友人「はっちん」、高校1年の時はリーゼントで3年生あたりではサーファーと言うこともありマシュマロカット風・・・いまのタレントさんで言うと「日村勇紀さん」のような感じになっていました。友人やんはさらさらのきれいな髪でした。最近会うと同じ髪でも「寂し~なって来てなあ~」の話ばかり。3人で例のひよこは生まれたときからの・・やってみようかなあ~ちなみに近所のかたもされていますが効果はあまり・・との事でした

滋賀大学経済学部。映画「偉大なるしゅららぼん」の学校でのロケにも使われたお堀などです。

このまままっすぐ行きベイシアで買い物。そのベイシアの場所にはかつて大きな繊維工場がありました。その繊維工場の給食物資を納品させてもらったりしていました。当時いわゆる炊事などされるスタッフさん、交代でされていたのか17歳前後の女性が頑張っておられたと思います。自分が17歳の頃など先ほどの話のような髪型気にしたり遊んでばかりいたのにと思うと当時23~24歳くらいの私。もっと真剣に仕事に取り組まねばと決意しました。でもその数年後、サラリーマンとして真剣に取り組むことせず自営業として取り組むことになろうとは当時の私・・・夢にも思いませんでした

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